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アリス・クーパー |
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アル・ピトレリ |
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アレキシ・ライホ CHILDREN OF BODOMのフロントマン。荒々しいネオクラシカル系のギター・プレイと、わめき散らすようなブラック・メタルスタイルのシャウト・ヴォーカルが特徴。18歳でデビューしたころからそのギター・プレイは粗さを残しつつも華々しいものだった。背は高くないものの、ルックスにも華があり、そのアグレッシヴなパフォーマンスにはカリスマ性がある。音楽的センスは素晴らしいが、キンバリー・ゴスと結婚したことから考えても、女性の審美センスにはいささか問題があるように思われる。 |
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アレックス・ヴァン・ヘイレン VAN HALENのドラマーにして、エディ・ヴァン・ヘイレンの兄。要塞のごとき大掛かりなドラムセットを使いこなすダイナミックかつテクニカルなドラマー。政治的な意味でのVAN HALENのリーダー。 |
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アレックス・スコルニック TESTAMENTのギタリストとしてデビューしたテクニカル・ギタリスト。スラッシュ・サウンドの中で舞う彼のテクニカルな泣きのギターは多くの支持者を得たが、スラッシュ・ファンの多くがソロよりもリフを重視することに不満を覚えてTESTAMENTを脱退。フュージョン的な世界へと接近する。一度SAVATAGEに加入するもすぐに脱退。音楽学校に入り、博士号をとるべく勉強と練習を重ねているらしい。 |
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アンガス・ヤング |
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アンジェラ・ゴソウ 脱退したヨハン・リーヴァに代わってARCH ENEMYに加入したドイツ人女性。その美しいルックスからは想像もつかないアグレッシヴなデス系シャウトスタイルのヴォーカル、そのギャップも受けて、日本ではたちまち大人気に。 |
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アンダース・フリーデン セカンド・アルバムから加入したIN FLAMESのヴォーカリスト。元はSTUDIO FREDMANのエンジニアだった。あまり歪まない、細めのデス声の持ち主。バンドがアメリカでブレイクして以降ルックスがどんどんストリート系に変貌。 |
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アンダース・ヨハンソン SILVER MOUNTAINでデビューし、イングヴェイ・マルムスティーンのRISING FORCEに参加することで名を上げたスウェーデン人ドラマー。イェンス・ヨハンソンの兄。手数の多いテクニカル・スタイルのドラマーだが、弟のように天才的な印象はない。体格は大きいものの、あまりソリッドなプレイをするタイプではないので、典型的なメタル・ドラミングを求められるHAMMERFALLは必ずしも彼に相応しいバンドとはいえない。 |
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アンディ・ウォレス NIRVANAの名作「NEVERMIND」をはじめ、SLAYER、SEPULTURA、LIMP BIZKIT、LINKIN PARKなどを手がけた、ヘヴィ・サウンドの第一人者と言えるプロデューサー。 |
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アンディ・デリス PINK CREAM69のシンガー&ソングライターとしてシーンに登場、様式化に陥っていたジャーマン・メタルのイメージを変える新しい風として嘱望されていたが、音楽的志向の相違によるバンド内不和によってPC69を脱退し、なんといわゆるコテコテのジャーマン・メタルとされていたHELLOWEENに加入し、名盤「MASTER OF THE RINGS」によってたちまちその看板シンガーとしての地位を確立した。独特の哀愁をたたえたポップ・チューンを書かせたら天下一品で、HELLOWEENのイメージに合ったパワー・メタル・チューンも書ける、ソングライターとしてはかなり器用な人。歌声はかなり個性的で、好き嫌いが分かれるタイプ。ステージ上で見せるコミカルなアクションも個性的といえば個性的。 |
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アンドレ・アンダーセン ROYAL HUNTのキーボーディストにして、音楽的中心人物。ロシア出身の大男。デンマークに亡命してバンド活動を開始。非常に雄弁な自信家でもある。完璧主義者らしく、書く曲も非常に構築感が強い。アルバムではキーボードを敢えて打ち込みにしているのも、わずかな音の揺れも許せない完璧主義の故か。 |
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アンドレ・オルブリッチ BLIND GUARDIANのギタリストにして音楽的ブレイン。偏執狂的なまでのギター・オーケストレーションの鬼。デビュー当初はだいぶ粗いプレイを聴かせていたため、テクニカルなイメージはないが、90年代後半以降の彼のプレイは非常に精度の高いものである。 |
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アンドレ・マトス ブラジルのHMバンド、VIPERのフロントマンとして若干16歳でデビュー。クラシック音楽の素養を持ち、よりアカデミックに学校でクラシック音楽を勉強するためにVIPERを脱退、音楽学校で学んだ後、ANGRAを結成、クラシックとヘヴィ・メタルを融合した音楽を実現し、高い評価を得る。少年時代合唱団でカウンター・テナーを担当していたというのも頷けるハイトーン・ヴォイスの持ち主。そのテクニカルな歌唱法を「クセがある」として毛嫌いする向きや、しなやかな声質を「パワー不足」と評する声もあるが、歌唱と作曲の両面、さらにはキーボード奏者としても非常に高い実力を備えていることは疑いない。ANGRA脱退後はSHAMANを結成、クラシック音楽とブラジル音楽をヘヴィ・メタルと融合させるという彼の音楽的ビジョンの追求を続けている。 |
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イアン・ギラン 第二期DEEP PURPLEのヴォーカリストとして、DEEP PURPLEを黄金期へと導いたハイ・トーンシンガー。DEEP PURPLE脱退後は自身のバンドGILLANを率いて活動。DEEP PURPLE再結成に伴い再び加入。その後再び脱退するも再々加入。リッチー・ブラックモアとの仲の悪さはつとに有名。 |
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イアン・パリー イギリス出身ながら、VENGENCEのラスト・アルバムに参加したのを皮切りに、オランダを拠点に活動している実力派シンガー。日本で注目されるきっかけとなったのはユーゴスラビア出身のネオ・クラシカル系ギタリスト、ミシャ・カルヴィンのアルバムにおいて、同じくゲスト参加していたトニー・マーティンを食うほどの素晴らしい歌唱を披露していたことがきっかけ。その後ソロ・プロジェクトやセッション・ワークを経て96年にELEGYに加入。その強力な歌唱でバンドを引っ張っている。 |
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イアン・ペイス DEEP PURPLEのドラマー。ジャズ仕込みのスウィング感とテクニックを兼ね備えたドラミングでバンドの土台を支えてきた。 |
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イエスパー・ストロムブラード IN FLAMESのギタリストにして中心人物。技術的には特に傑出している訳ではないが、叙情的なリードのフレーズを弾かせたら右に出る者のいない、天才的メロディ・センスの持ち主。父親はスウェーデンの伝統的フォーク・ミュージックのミュージシャンらしく、彼のメロディセンスはそのあたりにも由来しているのかもしれない。プレスのインタビューを受けるとたちまち気分が悪くなってしまうということで、インタビューを受けることはない。一種の対人恐怖症の傾向があるのかもしれない。 |
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イェンス・ヨハンソン 兄のアンダースと共にSILVER MOUNTAINでデビュー、アルバム「SHAKIN' BRAINS」における壮絶なプレイでたちまち「天才」との評価を得る。兄と共にイングヴェイのRISING FORCEに引き抜かれ、4枚目の「ODESSEY」までプレイする。RISING FORCE脱退後、DIOに加入するもアルバム1枚を制作しただけで、ロニー・ジェイムズ・ディオがBLACK SABBATHに再加入するためにバンド解散。その後はプロジェクト的な仕事をメインに活動、フュージョン/プログレのシーンでも「エディ・ジョブソンの後継者」的な評価を確立する。96年、ティモ・トルキの招聘に応じSTRATOVARIUSに加入。セッション・ワークやプロジェクト等にはいくつか参加しつつも、基本的にはSTRATOVARIUSのキーボーディストとしての活動をメインにしている。 |
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イゴール・カヴァレラ SEPULTURAのドラマー。マックス・カヴァレラの弟。そのパワーとテクニックを兼ね備えた突進力あふれる強力なドラミングでSEPULTURAの屋台骨を支える。 |
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イングヴェイ・マルムスティーン スウェーデン出身の天才ギタリスト。ジミ・ヘンドリックス、DEEP PURPLEでロックに目覚めた彼は、その後バッハやパガニーニ等のクラシック音楽に傾倒、クラシック音楽のスケールを利用したスウィープ・アルペジオなどの超高速の速弾きで、ギター界に革命を起こした。地元でのバンド活動は成功に結びつかなかったが、ギタリスト発掘人、マイク・ヴァーニーに送ったデモ・テープが認められ、単身渡米。空港に「666」と大書されたトランクを持ち、出迎えたマイク・ヴァーニーにいきなり「俺は反キリストだ」とのたまったという逸話がある。L.A..では手始めにロン・キール率いるSTEELERに加入、アルバム1枚を残し、L.A..のクラブ・シーンに「凄いギタリストがいる」という評判を巻き起こす。オジー・オズボーンやUFOなどいくつかの有名バンドからの誘いを受け、結局元RAINBOWのヴォーカリストだったグラハム・ボネットの新バンドALCATRAZZに加入、本格的に世界デビューし、たちまちシーンにセンセーションを巻き起こす。結局ALCATRAZZからもアルバム1枚で脱退、自身のバンドRISING FORCEを結成し、ソロ・キャリアに取り掛かる。アルバム発表ごとにメンバーが交代するような「バンド」ではあったが、名シンガー、マーク・ボールズを迎えて制作された「TRILOGY」ではゴールド・ディスクを獲得するなど、順調に成功の階段を昇っていった。その後交通事故に遭い、一時昏睡状態に陥るも、見事に復帰、元RAINBOWのジョー・リン・ターナーを迎えて制作された「ODESSEY」では一層キャッチーさを増したサウンドで、当時まだソビエト連邦だったレニングラードでライブをやるほどの認知を獲得する。90年代以降、欧米での人気は低迷するが、日本では変わらぬ高い人気と評価を保っている。クビにしたメンバーに対する悪口雑言や他のアーティストに対する辛口の評価をはじめ、数々の心温まる「迷言」で日本のHR/HMファンの心を和ませ続ける彼に日本のファンが送った称号は「王者」。 |
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インゴ・シュヴィヒテンバーグ HELLOWEENの初代ドラマー。「CAMEREON」まで在籍後、ドラッグ、アルコールへの依存が悪化したために解雇され、将来への悲観から自殺。 |
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ヴィヴィアン・キャンベル NWOBHMの一翼を担ったバンド、SWEET SAVAGEのギタリストとしてデビュー。ロニー・ジェイムズ・ディオがBLACK SABBATH脱退後に結成した自身のバンドDIOのギタリストに抜擢され、そのソリッドなプレイで一躍ギター・ヒーローとして注目を集める。DIO脱退後WHITESNAKEを経て、DEF LEPPARDに加入。 |
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ヴィタリ・クープリ ウクライナ出身。ARTENTIONのキーボーディストとしてデビューすると同時に、その超絶技巧でたちまち注目を集める。マーク・ボールズのRING OF FIREにも参加。それもそのはず、彼は幼い頃からクラシック・ピアノの訓練を積み、有名なコンテストで優秀な成績を収めてきた音楽英才であり、クラシックのミュージシャンとしてのキャリアもある人間である。 |
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ヴィト・ブラッタ WHITE LIONのギタリスト。タッピングをはじめとするトリッキーなテクニックを駆使した構築美溢れるギター・プレイが特徴。その才能と技術にもかかわらず、あまりギター・ヒーロー扱いされなかったのはバンドのイメージが軟弱だったためか、それとも当人のルックスがアレだったせいなのか。 |
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ヴィニー・アピス カーマイン・アピスの弟で、兄同様ドラマー。DIOで数々の名演を残し有名に。兄よりもヘヴィで、空間を埋め尽くすようなフィルを入れる、HR/HMオリエンテッドなプレイが特徴。後に諸々の軋轢からロニー(・ジェイムス・ディオ)に疎まれることに。 |
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ヴィニー・ヴィンセント 80年代初頭にKISSに加入して有名になった速弾きギタリスト。80年代の「ヘヴィ・メタリックなKISS」という音楽的土台作りに貢献するも、人間性の問題でKISSを解雇される。自身のバンドVINNIE VINCENT INVASIONを結成し活動するも、大きな成功を収めるには至らず。後に印税の支払い等の問題でKISSを訴えるも、敗訴。 |
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ヴィニー・バーンズ TENのギタリスト。「FAR BEYOND THE WORLD」まで参加し、ゲイリー・ヒューズの片腕として活躍。あまりそのことを指摘する人は少ないが、かなりのテクニシャン。誰も注目しなかった再結成ULTRAVOXのギタリストの座にも就いていた。 |
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ヴィニー・ポール PANTERAのドラマー。ダイムバッグ・ダレルの実兄。パワーとテクニックを兼ね備えた優れたドラマー。樽のようなルックスも極めてドラマーらしい(?)。 |
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ヴィニー・ムーア イングヴェイの登場後、雨後の竹の子のごとく登場してきたネオ・クラシカル系速弾きギタリストの一人。当初、VICIOUS RUMORSのギタリストとしてデビューし、注目を集めた後すぐにソロでデビューするという売り出し方で、彼のデビューのために踏み台にされた観のあるVICIOUS RUMORSは気の毒だった。テクニックは高度で、センスも悪くなかったが、速弾きブームの衰退後、他の名手たちの中から飛びぬけるだけの個性を示すには至らなかった。 |
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ヴィンス・ニール MOTLEY CRUEのブロンドのヴォーカリスト。決して上手くはないが、独特の甘さとクセのあるセクシーな声、そして(ニッキー・シックスやトミー・リーが目立ちすぎるためにそれほど語られることはないが)華のあるアクションはフロントマンとして非常に魅力的。クルマ好きのスピード狂で、一時期F1レーサーを半ば本気で目指したとも言われている。 |
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ウォーレン・デ・マルティーニ RATTの細身長身のギタリスト。ジャックオフ・ビブラートをはじめとする高度なギター・テクニックと、優男風のルックスで特に日本で高い人気を誇り、ギター・ヒーロー・ブームの一翼を担った。師匠格にあたるジョージ・リンチと共に、LAメタルを代表するギタリストである。 |
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ウド・ダークシュナイダー ACCEPTの看板シンガー。ドイツ人とは思えないほど背は低いが、唯一無二の超個性的なハイトーン・シャウトでACCEPTの鋼鉄サウンドに強力なインパクトを与える役割を担っている。ACCEPT解散後は自身のバンド、U.D.O.で活動、あくなきメタルの追求を続けている。メタル以外の音楽は歌えないシンガー。 |
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ウリ・カッシュ ドイツのデス・メタルがかったスラッシュ・バンドHOLY MOSESのドラマーとしてシーンに登場、GAMMA RAYのセカンド・アルバム「SIGH NO MORE」への参加で知名度を高める。その後HELLOWEENに加入し、そのタイトかつテクニカルなドラミングで高い評価を獲得、同時にソングライターとしての手腕も発揮するようになる。マイケル・ヴァイカートとローランド・グラポウのいさかいに関してローランドの側に与し、HELLOWEENを解雇されるも、ローランドと共にMASTERPLANを結成し、活動を続けている。 |
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ウルフ・ホフマン ACCEPTのギタリストとして、そのクラシカルなプレイでACCEPTの男臭い鋼鉄サウンドに一種の美を与えていた。再結成後はそのクラシカルなエレメントを披露することはなく、全く期待されていないヘヴィなサウンドを出し続け、再結成ACCEPT低迷の原動力となった感も。 |
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ウルリッヒ・ロート SCORPIONSのギタリストとして登場、その強烈な泣きのギター・プレイでカリスマ的な人気を得る。また、そのクラシカルな趣さえ漂わせる速弾きは、かのイングヴェイにも強い影響を与えた。また彼はジミヘン・フリークとして知られ(何しろジミヘンの晩年の愛人を自らも愛人としたほど)、初期のSCORPIONSの作品には必ず彼自身がヴォーカルをとるジミヘン・タイプの曲が収められている。ただし、彼自身の歌は酷いものであり、彼がSCORPIONS脱退後にウリ・ジョン・ロートと改名(?)して制作したソロ・アルバムが、どれも音楽的には非常に充実した内容を持ちつつも、「マニア向けのアルバム」にとどまっているのは一重に彼のヴォーカルの酷さによる。10年以上前からクラシックのような大作曲を制作するといっておきながら、93年の「プロローグ・アルバム」以降まったく具体的な形が見えてこない。既に仙人の如き趣を漂わせるだけあって、凡人の考えるリリース・サイクルなどはまったく意に介していないようである。また、彼は32フレットまである特製ギター「スカイ・ギター」の開発者および使い手として知られている。 |
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ウレ・リトゲン ウリ・ロートのバンド、ELECTLIC SUNのベーシストとしてシーンに登場。ウリの隠棲後はウリの弟、ジーノ・ロートのバンドZENOに加入。ジーノ・ロートが音楽業界ビジネスに絶望し、ZENOの活動を停止すると他の残党と共にFAIR WARNINGを結成。優れた音楽センスを発揮し、日本のみで大成功を収める。FAIR WARNINGの解散後はウリ同様、隠棲に近い生活を送っている。物静かでやや気難しい雰囲気人物。 |
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エイドリアン・ヴァンデンバーグ 80年代のオランダを代表するHRバンド、VANDENBERGのギタリストにして中心人物。テクニックもあり、ヨーロッパ人らしい叙情的なセンスに長けたギター・プレイで高い評価を得ていた。かのデヴィッド・カヴァデールも彼を高く評価していた一人で、VANDENBERG解散後、自身のバンドWHITESNAKEに招き入れている。大ヒットした「WHITESNAKE(邦題:サーペンス・アルバス〜白蛇の紋章〜)」のツアーから参加したエイドリアンだったが、次のアルバム制作時には腕を負傷し、不参加。WHITESNAKE解散後、しばらく経った1994年MANIC EDENというバンドでブルージーなハード・ロックを聴かせたが、セールス的には失敗し、空中分解。その後再結成したWHITESNAKEで「RESTLESS HEARTS」というアルバムを残している。90年代に入ってからの彼のプレイは、渋いブルージーなプレイがメインで、かつてのような叙情的な面が希薄なのが残念。ちなみに190cmを超える長身の持ち主。 |
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エイドリアン・スミス デニス・ストラットンの後任としてIRON MAIDENに加入したギタリスト。キャッチーなロック・センスの持ち主で、「2Minutes To Midnight」「Wasted Years」等の名曲を残す。IRON MAIDEN脱退後はPHYCHO MOTELで活動するも、成功を収めることは出来なかった。元HELLOWEENのシンガー、マイケル・キスクのソロ・アルバムにゲストで参加した後、同じくIRON MAIDENを脱退していたブルース・ディッキンソンのバック・バンドに参加、往年のIRON MAIDENを思わせるサウンドでファンを喜ばせる。1999年、ブルースと共にIRON MAIDENに復帰。 |
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エース・フレーリー KISSのギタリスト。宇宙人メイクに加え、ミサイルも飛び出すギミック付きのギターを駆使して人気を集める。ステージで見せる妙にクネクネした動きから女性説が囁かれたことも。KISS脱退後はFRALY'S COMMETなる自身のバンドで活動するもパッとせず。 |
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エドワード・ヴァン・ヘイレン ライトハンド奏法をはじめとするトリッキーかつテクニカルなギター・プレイによってギター界に革命を起こしたVAN HALENの看板ギタリスト。変な情緒性を一切感じさせないブライトで明るいギターのトーンは唯一無比。代表曲「Jump」の「あの」イントロをはじめ、キーボードをプレイしているのも彼。人懐こい笑顔が印象的な、HR/HM界のみならず、ロック界を代表するギター・ヒーローである。 |
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エリク・ノーランダー LANA LANEのキーボーディストにして、音楽的中心人物。ハモンドやムーグ等、やや古めかしいサウンドを多用し、メロディアスで幻想的な世界を作り出すそのセンスは、他のミュージシャンを中心に高い評価を得ている。 |
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エリック・カー KISSの2代目ドラマー。70年代より音楽活動はしていたが、知名度のあるバンドはKISSが初めて。1980年、ピーター・クリスの後任としてKISSに加入。80年代KISSのメタル路線を支える。91年、癌による合併症のため41歳の若さで病死した。 |
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エリック・クラプトン YARDBIRDSでデビューし、その後CREAMやBLIND FAITHで活躍、ジェフ・ベックやジミー・ペイジと共に3大ギタリストと称され、多くのギター・プレイヤーに影響を与える。「スローハンド」の異名をとるテクニカルなプレイで注目を集めたが、70年ごろからアメリカ南部のブルースに傾倒、レイドバックした音楽性に変化していき、ギタリストとしてより、「いとしのレイラ」や「Wonderful Tonight」などの名曲を書き、歌った、トータルなミュージシャンとしての評価を高める。ドラッグの問題でシーンから遠ざかったこともあったが、見事に復帰、92年の「アンプラグド」が世界的にヒットし、息子の死を歌った「Tears In Heaven」でグラミー賞も獲得。文字通りトップ・アーティストとなるが、最近デビューしたHR/HM系ミュージシャンから彼の影響が語られることは少ない。 |
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エリック・シンガー ドラマー。リタ・フォードのバック・バンドを経て、BLACK SABBATHのギタリスト、トニー・アイオミのソロ・プロジェクトに参加(アルバムは結局BLACK SABBATH名義でリリースされる)、そのままBLACK SABBATHに加入し、「THE ETERNAL IDOL」にも参加。その後ゲイリー・ムーアのバンドで「WILD FRONTIER」ツアーに参加、来日も果たしている。1988年レイ・ギラン、ジェイク・E・リーらとBADLANDSを結成。1989年の6月にBADLANDSとして2度目の来日を果たす。BADLANDSではジェイクとの衝突から脱退、アリス・クーパーのバンド に加入し、1990年に3度目の来日をする。1991年、肺癌で死去したエリック・カーの後任としてKISSに加入。1996年にKISSがオリジナル・メンバーで再結成するまで在籍する。その後は様々なセッションに参加する傍ら、1998年には事故死したコージー・パウエルの後任としてブライアン・メイのバンドに参加、来日も果たす。2001年、再度脱退したピーター・クリスの後任としてKISSに復帰。 |
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エリック・マーティン MR.BIGのヴォーカリストとして一躍知名度を上げた、ハスキーでソウルフルな声と童顔のルックスが特徴のシンガー。ビリー・シーンと衝突し、MR.BIG内に不協和音を巻き起こした張本人と言われる。MR.BIGでデビューした当時既に30台後半のいい年だったことからもわかるように、バック・シンガーや、売れないソロ・アルバムなど、地味な下積み時代を経験している。そしてMR.BIG解散後はその地味な下積み時代と同じようなレベルの活動に逆戻りしてしまった観も否めない。 |
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