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ホームアーカイヴス>HR/HMの歴史


1980〜1982

これまでの時期、HR/HMのシーンは基本的にイギリスを中心に発展・推移してきた。むろん、アメリカにも先述したKISSやAEROSMITHなどのバンドが存在していたし、1978年にはVAN HALENというパワフルなハード・ロック・バンドが登場し、パンク旋風吹き荒れるイギリスのシーンを尻目にブレイクを果たしていたが、これらはあくまで個々のバンドとして人気を得ていたのであり、決してジャンルとしてのHR/HMに人気があるわけではなかったというのが実情だった。

しかし、ここにきてNWOBHMをきっかけとしたイギリスのHR/HMシーンの盛り上がりを受け、アメリカでも徐々にジャンルとしてのHR/HMの人気が高まりつつあった。BLACK SABBATHを脱退してソロ活動を始めたオジー・オズボーンが悲運の天才ギタリスト、ランディ・ローズと共に注目を集め、AC/DCは初代シンガー、ボン・スコットを喪い、二代目ヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンを迎えて制作した「BACK IN BLACK」アルバムを全米で大ヒットさせた。ドイツを代表するハード・ロック・バンドであるSCORPIONSは、強烈な泣きのギター・プレイでカルト的な人気を持っていたウルリッヒ・ロート脱退後、より洗練されたHR/HMサウンドを志向することで、アルバム「BLACKOUT」を全米TOP10に送り込んだ。JUDAS PRIESTが精力的な全米ツアーを行ない、シングル「You've Got Another Thing Comin'(邦題:アナザー・シング)」をスマッシュ・ヒットさせたのもこの頃である。まさに、アメリカでHR/HMの火が燃え上がろうとしていた。

◆参考作品

OZZY OSBOURNE

BLIZZARD OF OZZ

BLACK SABBATHを脱退したHMの帝王、オジーのソロ・デビューを飾った名盤。

AC/DC

BACK IN BLACK
ロック・クラシックとして恐るべきロングセラーを記録するタテノリハードR&Rの名盤。

JUDAS PRIEST

SCREAMING FOR VENGENCE
イントロから鳥肌が走る、正統派ヘヴィ・メタルの教科書というべき名盤。

SCORPIONS

BLACKOUT
次作「LOVE AT FIRST STING」とあわせ、彼らの人気を決定付けた名盤。


1983〜1985

この時期から、HR/HMシーンの主導権は完全にイギリスからアメリカに移る。VAN HALENのシングル「Jump」が全米1位に輝き、同曲を収録したアルバム「1984」も2位まで上昇。そしてDEF LEPPARDも「PYROMANIA」アルバムを同じく全米2位に送り込み(当時マイケル・ジャクソンのモンスター・ヒットアルバム「THRILLER」が1位を独走していたため、両アルバムをはじめいくつかのアルバムが1位を獲り損ねていた)、700万枚以上のセールスを記録するなど、アメリカでのHR/HMブームは決定的なものとなる。

このタイミングで登場したのがいわゆる「LAメタル」のムーヴメントであった。当時オジー・オズボーンのバンドのギタリストとして、そのクラシカルなプレイが注目を集めていたランディ・ローズが飛行機事故で他界し、その事件をきっかけに彼がオジーのバンドに加入する以前に参加していたQUIET RIOTが再結成、ランディに捧げるアルバムを作ったところ、これが大ヒット。シングル「Cumon' Feel The Noize」(イギリスの70年代の人気ロック・バンドSLADEのカヴァー)のヒットもあり、アルバム「METAL HEALTH」はHR/HMにカテゴライズされるバンドとして初の全米No.1に昇り詰めてしまうのである。

これをきっかけにL.A.には成功を夢見たHR/HMミュージシャンが集うようになり、その中からMOTLEY CRUE、RATT、DOKKEN、W.A.S.P.など、多くのバンドが登場、一躍L.A.はHR/HMのメッカと化す。彼ら「LAメタル」に括られるバンドはそれまでのイギリスのバンドと違って、サウンドは明るくキャッチーであり、ルックスは過激でありながらも同時に華やかであった。このため、それまでHR/HMには縁の薄いものだった多くの女性ファンを獲得することに成功する。ポップ・ミュージックが商業的にブレイクするためには、ミーハーな女の子をつかむことが非常に重要な意味を持つ。HR/HMはここにきて商業的メイン・ストリームに躍り出るきっかけをつかんだのである。

ちなみにこの時期ドイツからは元祖パワー・メタル集団ACCEPTが登場。一方北欧スウェーデンからは名曲「Seven Doors Hotel」の美しい旋律と共にEUROPEがデビュー。ほぼ同時期に、元RAINBOWのシンガー、グラハム・ボネットが結成したALCATRAZZにおける驚異的な速弾きで世のギタリストたちの度肝を抜いたスウェーデン出身のギタリスト、イングヴェイ・マルムスティーンが出現したこともあいまって、北欧出身のHR/HMバンドが日本限定で「北欧メタル」というジャンルを成立させるほどの人気を博した。我らが日本のLOUDNESSがワールド・デビューを飾ったのもこの頃で、英米以外からのHR/HMバンドが数多く登場した時期でもあった。

◆参考作品

VAN HALEN

1984
全米No.1ヒット「ジャンプ」を収録した、1983年発表の名盤。

DEF LEPPARD

PYROMANIA
イギリス出身だが、アメリカナイズされたキャッチーなHRサウンドで700万枚の大ヒット。

QUIET RIOT

METAL HEALTH
故ランディ・ローズに捧げられた、LAメタルブームの幕開けを告げる一枚。

MOTLEY CRUE

SHOUT AT THE DEVIL
LAメタルの代表バンドによる、初期LAメタルのイメージを象徴するメタリックな一枚。

RATT

OUT OF THE CELLER
LAメタルの明るくキャッチーなパブリックイメージを端的に表現したヒット・アルバム。

EUROPE

EUROPE
北欧メタルの誕生を告げた記念碑的一枚。名曲「Seven Doors Hotel」収録。

YNGWIE MALMSTEEN'S RISING FORCE

YNGWIE MALMSTEEN'S RISING FORCE
北欧からのギター革命。HR/HM界に速弾きブームを巻き起こした。


1986〜1989

この時期は日本においてまさにバブル経済絶頂期であったが、HR/HMのシーンもまさにそれに劣らぬ絶頂期であった。何しろ、全米アルバム・チャートのTOP10のうち半数以上がHR/HM系アーティストによって占められるという異常な事態がこの時期現実に発生したこともあったのである。

この活況を象徴するアーティストは何と言ってもBON JOVIだろう。デビュー当時こそ日本での人気が先行する一介のハード・ポップ・バンドに過ぎなかったが、彼らがロック・バンドとして、そしてソングライターとして開花するタイミングとアメリカでのHR/HMブームが最高潮に達するタイミングが絶妙にシンクロすることによって、彼らは一躍時代を代表するロック・バンドに上り詰めた。1986年のアルバム「SLIPPELY WHEN WET」はシングル2曲を全米No.1に送り込み、アルバム自体も8週連続No.1に輝くという快挙を成し遂げた。彼らはハード・ロック・バンドとしてだけではなく、アイドル的なポップ・グループとしても比類なき成功を収めたのである。

BON JOVI以外にも、DEF LEPPARDやWHITESNAKEやEUROPEがそれまでのHR/HMの概念を超えたビッグ・ヒットを飛ばし、その他にもそのBON JOVIの弟分的に登場したCINDERELLAやSKID ROW、さらにはWINGERやWHITE LIONなどが次々と200万枚セールス級のヒットを飛ばすなど、まさにHR/HMバブル真っ盛りの時期であった。そして20世紀最後のR&Rモンスター、GUNS N' ROSESの登場によってさらにHR/HMの人気は加速していったのである。

一方、こうした華やかな成功の影でひそかに、しかし確実に勢力を広げる動きがあった。スラッシュ・メタルである。もはやポップスと変わらないほどに大衆化してしまったHR/HMのアンチテーゼとして、本来HR/HMが持っていた邪悪さ、過激さ、攻撃性を極端な形で表現したそのサウンドは、当初「音楽じゃない」といった酷評を浴びることも少なくなかったものの、アンダーグラウンドで確実に支持を集めていった。そしてBON JOVIがブレイクしたのと同じ1986年に、METALLICA、メジャー・デビュー。そしてまさかの全米チャートTOP30入りを果たす。こうしてサンフランシスコを中心としたベイエリアでは一大スラッシュ・メタル・シーンが形成され、ほんの3年前までは真性マニア向けとされていたバンドが次々とメジャーからデビューすることになったのである。

当時は新手のLAメタル・バンドと思われていたものの、そのサウンドはきらびやかでポップな当時主流のHR/HMとは異なる、生々しいバッド・ボーイズR&Rを志向していたGUNS N' ROSESの大ブレイクといい、スラッシュ・メタル・シーンの浮上といい、水面下で時代は確実に動いていたのである。

また、この時期全世界的なHR/HMの動きとは少し離れた所で起こったムーヴメントとして、HELLOWEENの名盤「KEEPER OF THE SEVEN KEYS PART1&2」の大ヒットから生まれた「ジャーマン・メタル・ブーム」というものがある。ムーヴメントとして認知されたのはほぼ日本に限られるが、この時期に確立した「メロディック・パワー・メタル」という音楽スタイルは、ヨーロッパ独自のスタイルとして脈々と受け継がれ、後にさらに大きなムーヴメントを生む伏線となる。


◆参考作品

BON JOVI

SLIPPELY WHEN WET
全米チャート8週連続No.1、1000万枚以上を売り上げた大ヒット・アルバム。

DEF LEPPARD

HYSTERIA
当時最先端のサウンドによる、1500万枚を売り上げたロングセラー・アルバム。

WHITESNAKE

WHITESNAKE
ベテランのブリティッシュHRバンドも、優れた曲とビデオによって800万枚の大ヒット。

GUNS N' ROSES

APPETITE FOR DESTRUCTION
ストーンズ〜エアロの正統な後継者というべき、20世紀最後のバッドボーイズR&R。

METALLICA

MASTER OF PUPPETS
スラッシュ・メタルを一気にメジャーに押し上げた彼らのメジャー・デビュー作。

HELLOWEEN

KEEPER OF THE SEVEN KEYS PART2
日本にジャーマン・メタル・ブームを巻き起こした、メロディック・パワー・メタルの傑作。

 

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