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HAREM SCAREM カナダの技巧派HRバンド。94年のセカンド・アルバム「MOOD SWINGS」で日本デビュー、そのスケール感あふれるメロディアス・サウンドでたちまち高い人気を得る。しかし、折からのグランジ/オルタナティヴ・ブームの影響もあり、彼らの目標であった北米での成功はなかなか収められず、自らオルタナティヴ的な音楽を取り入れてみたり、バンド名をRUBBERに変え、音楽もパワー・ポップに変貌してみたりと、日本のファンには迷走しているような印象を与える活動状況であるが、周期的に日本人の好む「MOOD SWINGS」の頃の雰囲気を取り戻すのはやはりわざとなのだろうか。 |
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IRON MAIDEN JUDAS PRIESTやMETALLICAと並ぶ、ヘヴィ・メタルというジャンルを象徴する代表バンドのひとつ。77年にスティーヴ・ハリス(B)を中心に結成、パンク/ニューウェーブ全盛でハード・ロックは古臭いものとして逆風が吹いていた中、従来のハード・ロックより攻撃的なそのサウンドで徐々に支持を拡大、80年に発表したデビュー・アルバム「IRON MAIDEN(邦題:鋼鉄の処女)を全英チャート4位に送り込みNWOBHMの火付け役となる。ヴォーカリストに元SAMSONのブルース・ディッキンソンを迎えて発表した3作目「THE NUMBER OF THE BEAST(邦題:魔力の刻印)」以降、アメリカ進出も果たし、「NWOBHMの王者」というイメージを超えたHR/HMの代表バンドとなった。以降も充実した作品を発表し続け、大掛かりなセットを使用したライヴ・パフォーマンスの素晴らしさもあって、高い人気を維持し続ける。シンセ・ギターやキーボードを多用した「SOMEWHERE IN TIME」(86年)や「SEVENTH SON OF A SEVENTH SON(邦題:第七の予言)」(88年)ではマニアから「軟弱になった」と非難されるも、後者が全英1位に輝いたことからもわかるように、楽曲の質の高さに裏打ちされたバンドの人気は揺るがなかった。しかし、93年、ブルース・ディッキンソンが脱退し、後任にWOLFSBANEのブレイズ・ベイリーが加入すると、HR/HMの人気下降の時期と重なっていたこともあってか、バンドの人気は失速する。しかし2000年、ブルース・ディッキンソン、およびエイドリアン・スミス(G)が復帰、トリプル・ギター編成で「BRAVE NEW WORLD」を発表、HR/HMファンの支持を回復することに成功する。 |
JUDAS PRIEST ヘヴィ・メタルのイメージを体現する「メタル・ゴッド」として知られ、IRON MAIDENと共に、正統派メタルの象徴として君臨するバンド。イギリスの工業都市バーミンガム出身。K.K.ダウニング(G)とイアン・ヒル(B)を中心とするトリオ・バンドにロブ・ハルフォード(Vo)が加入してJUDAS PRIESTに発展。74年グレン・ティプトン(G)を加えて5人編成となり、デビュー・アルバム「Rocka Rolla」をリリース。76年に発表した、叙情的なブリティッシュHRの傑作といえるセカンド「SAD WINGS OF DESTINY(邦題:運命の翼)」の好評を受け、メジャーの「CBS」と契約。77年、DEEP PURPLEのロジャー・グローヴァーをプロデューサーに迎え、「SIN AFTER SIN(邦題:背信の門)」をリリースし、初のアメリカ・ツアーを行なう。78年に、後のスピード・メタルの原型というべき名曲「Exciter」をフィーチュアした「STAINED CLASS」をリリース、初来日を果たす。翌79年にはSMからヒントを得たという鋲つきレザーのコスチュームで、よりメタリックなイメージを強調した「KILLING MACHINE(邦題:殺人機械)」を発表、このアルバムに伴うツアーで早くも再来日を果たし、このときの公演は「PRIEST IN THE EAST」としてライヴ・アルバムとなっている。80年、メタリックな攻撃性にこだわった「BRITISH STEEL」が全英3位を記録する大ヒットとなり、ヘヴィ・メタルの代表格としての地位を確立。次作の「POINT OF ENTRY(邦題:黄金のスペクトル)」は、アメリカ市場を意識したポップな作風でファンに肩透かしをくわせるも、続く「SCREAMING FOR VENGENCE(邦題:復讐の叫び)」では「BRITISH STEEL」で確立した硬質なメタル・サウンドに、初期の彼らが持っていた荘厳な叙情性をプラス、ブリティッシュHMの真髄と呼ぶべきサウンドを叩きつける。HR/HM史上最高と言われる劇的なオープニング「Hellion〜Electric Eye」で幕を開ける本作は、シングル「You've Got Another Thing Comin'」のスマッシュ・ヒットもあり、アメリカでも200万枚を超すセールスを記録、ヘヴィ・メタルのイメージを同国に定着させることに貢献した。次作「DEFENDERS OF THE FAITH(背徳の掟)」も前作同様、ブリティッシュHMの名盤で、タイトルもファンからは彼らこそが「ヘヴィ・メタルの信念の守護者であることを宣言した」と解釈され、この時点をもって彼らは「メタル・ゴッド」としての地位を不動のものにしたといってよい。86年の「TURBO」はシンセ・ギターの大胆な導入が物議を醸したが、90年、当時シーンを席巻していたスラッシュ・メタルのアグレッションをPRIEST流のHMに昇華した大傑作「PAINKILLER」によって、彼らが鋼鉄神であることをあらためてシーンに示すことに成功した。しかし、その後、メタル・ゴッドとしてのカリスマ性を一身に担っていたロブ・ハルフォードが自身のソロ・プロジェクトであるFIGHT結成のために脱退。それ以降話題になったのはロブが実はゲイであった、ということ、そして彼らの曲を聴いて自殺したというアメリカ人少年の親との訴訟騒ぎくらいのものだった。97年、オーディションで元WINTERS BAINのティム・"リッパー"・オーエンズを加入させ、2作のアルバムを残すも、モダンなブルータルさを打ち出したそれらのアルバムは商業的には成功せず、結局2003年、ロブ・ハルフォードがバンドに復帰することとなった。正統派メタルの権化とされるバンドだが、IRON MAIDENと異なり、常に時代のトレンドを睨み、新しい要素を取り込むことで、ヘヴィ・メタルというジャンル自体の定義を広げていこうとするかのように音楽的な変化を繰り返した、冒険心に溢れたバンドであることは強調されて然るべきである。 |
KISS NYで活動していたWICKID LESTERのジーン・シモンズ(B)、ポール・スタンレー(Vo/G)が求人広告でピーター・クリス(Dr)、エース・フレーリー(G)と出会って結成。74年アルバム・デビュー。日本の歌舞伎にもインスパイアされたという白塗りの奇抜なメイクと派手なパフォーマンスが評判だったが、当初アルバムのセールスは振るわず、商業的な成功を手にしたのは、彼らの人気が最も高い都市だったデトロイトで収録した4枚目のアルバムとなるライヴ盤「ALIVE!(邦題:地獄の狂獣)」によってだった。このアルバムのヒットによって全米中にその名を広めた彼らは、名曲「Detroit Rock City」、ピーターの歌う大ヒット・バラード「Beth」を収録した名盤「DESTROYER(邦題:地獄の軍団)」や、タイトル曲が有名な、これまた名盤である「LOVE GUN」などを次々とヒットさせ、一躍トップ・バンドの地位を手に入れる。当時日本でも彼らの人気は非常に高く、AEROSMITH、QUEENと共に「ハード・ロック御三家」などと呼ばれ、そのインパクトに満ちたルックスとキャッチーな楽曲で、ロック・ファンの裾野の拡大に大きな貢献を果たした。80年代に入り、ピーター、エースと次々にオリジナル・メンバーが脱退したあたりからバンドの勢いに翳りが出てくる。トレードマークのメイクを落とし、速弾きギタリストのヴィニー・ヴィンセントやマーク・セント・ジョン、ブルース・キューリックなどを迎えて、当時流行していたLAメタルを意識したかのようなフラッシーでキャッチーなHM路線を歩んだ80年代は、音楽的にも商業的にもまずまずではあったが、やはりかつてのようなインパクトには欠けていたと言わざるを得ない。彼らに対する注目が再び高まったのは、90年代の後半に入り、オリジナル・メンバーで再びメイクをして世界をツアーしてからであった。 |
LOUDNESS 日本で唯一世界的な認知を獲得したHMバンド。元LAZYというアイドル・グループにいた高崎晃(G)と樋口宗孝(Dr)を中心に結成、山下昌良(B)と、元EARTHSHAKERの二井原実(Vo)を加え、81年にデビュー・アルバム「誕生前夜」を発表、これは彼らのスタートであると共に、実質的な日本のHR/HMシーンの幕開けでもあった。結成当初から海外進出を目標にしていた彼らは、83年に自力でアメリカ西海岸ツアーを敢行。このツアーは地元のHR/HMマニアたちの間で評判となり(当時、METALLICAやSLAYERのメンバー、そして若き日のポール・ギルバートらがこのときのツアーを観に足を運んでいる)、ヨーロッパで英語版がリリースされた名盤4th「撃剣霊化(洋題:DISILLUSION)」(1984)の好評もあって、バンドは遂に念願の米国「Atlantic」との契約を交わすことに成功する。そうしてリリースされた「THUNDER IN THE EAST」(1985)は、「Crazy Nights」のビデオ・クリップがMTVでヘヴィ・ローテーションされたことも手伝い、全米73位を記録するスマッシュ・ヒットとなった。当時エディ・ヴァン・ヘイレンやジョージ・リンチが高崎晃の緻密かつテクニカルなプレイを絶賛し、高崎は一躍「世界のアキラ・タカサキ」としてギター・ヒーローとなる。その後、アルバムのリリースを重ねつつ、AC/DCやMOTLEY CRUEの前座として全米のアリーナを踏み、自らがヘッドライナーとして回ったツアーでは、デビュー直後のPOISON、レコード・デビュー前のRACER Xを前座に従えるなど、当時は完全に「外タレ」として活動していた。88年、二井原が脱退すると、元OBSESSIONのマイク・ヴェセーラをメンバーに迎え、2枚のアルバムを制作。90年代に入ると、海外での契約は失うが、脱退したマイクの後任に元E.Z.Oの山田雅樹、同じく脱退した山下の後任に元Xの沢田泰司を迎え、PANTERAの影響が顕著なヘヴィ作「LOUDNESS」(1992)を発表。沢田の人気もあって、日本では過去最高のセールスを記録する。その後、沢田、そして高崎と共にバンドの中核を担っていた樋口が脱退。実質高崎のソロ・プロジェクト的な存在となり、彼が傾倒しているオリエンタルでサイケデリックな、かつてのLOUDNESSとは似ても似つかぬヘヴィ・ミュージックをプレイするようになる。21世紀に入り、オリジナル・メンバーで再結成。 |
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