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ホームアーカイヴス>バンド名鑑D〜G

DEEP PURPLE

LED ZEPPELIN、BLACK SABBATHと並び、70年代初頭に「3大ハードロックバンド」と称され、特に日本では高い人気を誇ったバンド。60年代のデビュー当初はサイケデリック風のポップな「アート・ロック」をプレイしていたが、70年、ヴォーカルに高音シャウトを得意とするイアン・ギランを迎えてからハード・ロック路線に変更する。リッチー・ブラックモアの奏でるクラシカルかつテクニカルな速弾きと、ジョン・ロードのハモンド・オルガンの激しいインター・プレイを中心としたクラシック的な雰囲気を醸し出すハードロック・サウンドは「様式美」と形容され、日本人好みとされるサウンドのひとつの形式を創造した。かつてこのフレーズをどれだけ速く弾くことができるか、とアマチュアギタリストがこぞってコピーした名ソロを持つ「Highway Star」、そしてギター初心者に「ギター・リフとは何か」を説明する際、必ず例に出される印象的な名リフを持つ「Smoke On The Water」、この超有名曲2曲を収録した名盤「MACHINE HEAD」(1972)のツアーにおける日本公演の音源を使用した「LIVE IN JAPAN」(1972)、ここにおいてバンドの人気は絶頂に達した(「Smoke On The Water」のライヴ・バージョンはシングル・カットされ、全米4位まで上昇した)。その後、メンバーチェンジを繰り返し、75年の日本公演をもってバンドは解散。ギタリストのリッチー・ブラックモアはRAINBOWで、3代目シンガーのデヴィッド・カヴァデールはWHITESNAKEでそれぞれ成功を収める。RAINBOW解散後、イアン・ギランをフィーチュアした第2期のメンバーで再結成。日本を中心に再びある程度の成功を収めるが、再びイアン・ギランが脱退し、元RAINBOWのジョー・リン・ターナーを迎えて以降欧米での注目は完全に失い、再びイアン・ギランが戻っても、日本以外で話題になることはなかった。リッチー・ブラックモアが再脱退すると、リッチー=DEEP PURPLE的なイメージが強かったため、日本においても注目は薄れ、その後の活動は基本的に懐メロ感覚のツアー中心となった。


DEF LEPPARD

BON JOVI等と並び、最も巨大な商業的成功を収めたHR/HMバンドのひとつ。NWOBHMの時期に登場したこともあって、その流れの中で語られることも多いが、そのポップでキャッチーなサウンドは、その他のNWOBHMのバンドが決して身に付けることのなかった華やかなメジャー感を備えていた。デビュー当初はAC/DCに通じるリフ主体のハード・ロックをプレイしていたが、ピート・ウィリス(G)が脱退し、代わって元GIRLのフィル・コリンを迎えて制作された83年発表の3rdアルバム「PYROMANIA(邦題:炎のターゲット)」で一気に曲調の幅とキャッチーさを増し、大ブレイク。アルバムは全米2位まで上昇し、700万枚以上を売り上げる大ヒット作となる。そして4thアルバム「HYSTERIA」制作中にドラムのリック・アレンが交通事故に遭い左腕を切断する悲劇が起こるも、特注のドラム・キットを使用することでメンバーとして残留、ファンの感動を呼んだ。そして様々なトラブルの末、足掛け4年の歳月を経て制作された「HYSTERIA」(1987)は、出足こそ鈍かったものの、驚異的なロングセラーを記録し、結果として1500万枚を売り上げるモンスター・アルバムとなる。そのような大成功を収め、文字通り世界的なビッグ・ネームとなった彼らに再び悲劇が襲う。ギターのスティーブ・クラークの急死である。バンドは後任に元DIO〜WHITESNAKEのヴィヴィアン・キャンベルを迎え入れ、5枚目となるスタジオアルバム「ADRENALIZE」(1992)を発表、これもヒットさせる。その後、90年代におけるHR/HMの人気の後退に伴い、かつてほどのセールスを上げることはなくなるも、クオリティの高いアルバムを発表し続けている。


DOKKEN

ドン・ドッケンを中心に77年にLAで結成されたHR/HMバンド。結成当時はドイツを中心としたヨーロッパでの活動をメインとしたことからも窺い知れるように、どこかヨーロピアンなムードを湛えたメロディックかつソリッドなサウンドが持ち味。ジョージ・リンチの「カミソリのような」と形容されるテクニカルで攻撃的なギターと、メンバー全員が歌えることによる見事なコーラス・ワークで人気を得る。LAメタル・ムーヴメントにもうまく乗り、84年のセカンド・アルバム「TOOTH AND NAIL」で注目を集め、続く85年の「UNDER LOCK AND KEY」で人気を確立した。しかし、ドン・ドッケンとジョージ・リンチの仲が険悪化し、解散。90年代再結成し、当時全盛のオルタナティヴ系のモダンなサウンドに取り組んだり、元WINGERのレブ・ビーチを迎えて再び80年代的なサウンドに回帰したりしているが、いずれにせよかつて武道館でコンサートを行ったときのような勢いはない。


DREAM THEATER

バークリー音楽院の同窓生であったマーク・ポートノイ(Dr)、ジョン・ペトルーシ(G)、ジョン・マイアング(B)を中心に85年に結成されたMAJESTYが母体となって誕生。ケヴィン・ムーア(Key)、チャーリー・ドミニシ(Vo)加入後DREAM THEATERと改名し、89年にレコード・デビュー。その「YES meets METALLICA」などと表現されたプログレッシヴな楽曲構成とヘヴィなリフを兼ね備えた音楽性、そしてロック・ミュージシャン離れした演奏力でマニアの間で高い評価を得るが、チャーリーが脱退し、一時活動停止。後任に前任者を遥かに上回る抜群の歌唱力を備えたジェイムス・ラブリエを迎えて発表したメジャー・デビュー作となる名盤「IMAGES AND WORDS」(1992)を発表。プレスやミュージシャンの大絶賛を受けて商業的にも成功を収め、一躍世界的な注目を集めることとなる。90年代におけるプログレッシヴ・メタルの隆盛のきっかけは間違いなくこのアルバムであった。その後、キーボーディストのメンバー・チェンジなどを経て、一作ごとに音楽性を微妙に変化させつつ、質の高い作品をクリエイトし続け、プログレッシヴ・メタルの最高峰として不動の地位を築いている。


EUROPE

現在ひとつのシーンとして確立している「北欧メタル」の元祖的存在。美形ヴォーカリスト、ジョーイ・テンペストを中心に結成され、スウェーデン国内のバンド・コンテストで優勝したのをきっかけに83年レコード・デビュー。美しいメロディをフィーチュアした様式HRサウンドで、本国および日本で高い人気を得る。86年のサード・アルバム「THE FINAL COUNTDOWN」は印象的なキーボードのイントロを持つタイトル曲の大ヒットもあって世界中でブレイク、600万枚以上を売り上げるヒットとなり、彼らは一躍HR/HMの枠組みを超えた人気バンドとなる。ギタリストをジョン・ノーラムからキー・マルセロに変えて制作された次作「OUT OF THIS WORLD」(1988)はもはや完全にAOR的な洗練されたプロダクションのポップ・アルバムとなり、商業路線が裏目に出たのか大コケ。その後アメリカン・ロック的なサウンドの「PRISONERS IN PARADISE」(1991)を発表後、レコード会社との契約を切られ、92年に解散。スウェーデンでの20世紀のカウントダウン・イベントで一回きりの再結成。ジョーイ・テンペストとジョン・ノーラムはそれぞれソロで活動。


EXTREME

都会的なセンスのハイテク・プレイで人気を集めたギター・ヒーロー、ヌーノ・ベッテンコートを中心に結成された、アメリカはボストン出身の「ファンク・メタル」バンド。ファンキーなハード・ロックを基本的な音楽性に、見事なコーラス・ワークを得意とすることもあり、時にはQUEENと比較されるほどの多彩な音楽性で、特に日本では評価が高かった。そんな彼らの魅力が満載され、全米でダブル・プラチナムを獲得するヒットとなった名盤「PORNOGRAFFITTI」からシングル・カットされたアコースティック・バラード、「More Than Words」は折からのアンプラグド・ブームにも上手く乗り、全米No.1の大ヒットとなった。オーバー・プロデュース気味でややマニアックな3作目で失速、4作目は当時流行していたオルタナティヴ風の質感を持った作風だったが、これもヒットに至らず、ヌーノ・ベッテンコートの脱退によって解散。ヴォーカリストだったゲイリー・シェローンはサミー・ヘイガーの後任としてVAN HALENに加入した。


FAIR WARNING

ウリ・ジョン・ロートの弟、ジーノ・ロートのバンドであったZENOを母体に誕生したバンドで、ZENOのベーシストだったウレ・リトゲンを中心に89年結成。92年にデビューするや、その徹底的に叙情的かつメロディアスなサウンドによって日本で爆発的な人気を誇った。デビュー・アルバムによってBURRN!誌の「ブライテスト・ホープ」に選出され、95年のセカンド・アルバム「RAINMAKER」、97年のサード・アルバム「Go!」はそれぞれ10万枚以上を売り上げる大ヒットとなる。しかし一方、日本以外では鳴かず飛ばずで、ライヴをやることさえままならず、そのような活動状況に業を煮やしたヴォーカリストのトミー・ハートが脱退、バンドは解散に至る。トミー・ハートはSOUL DOCTORで、スカイ・ギターの使い手であるヘルゲ・エンゲルケはDREAMTIDEでそれぞれ活動している。


GAMMA RAY

人間関係のもつれと、長期に渡るツアーに倦んで89年にHELLOWEENを脱退したカイ・ハンセンが自らの音楽的ビジョンを具現化するためのプロジェクトとして結成。元TYRAN PACEで、「ドイツのロブ・ハルフォード」と呼ばれていたラルフ・シーパース(Vo)と、音楽学校の同級生だったダーク・シュレヒター(G)をパートナーに90年、アルバム「HEADING FOR TOMORROW」でデビュー。HELLOWEEN時代に人気を得たメロディック・スピード・メタルのスタイルをより突き詰めた完成度の高いサウンドによって、日本でのジャーマン・メタル・ファンに大歓迎される。メンバーを一部変えて発表した91年のセカンド「SIGH NO MORE」では、音楽的方向性を拡散させ、バンドの新たな可能性を模索してみるが不評で、93年の「INSANITY AND GENIUS」で元のメロディック・パワー・メタル路線に回帰する。同作発表後、ラルフがロブ・ハルフォードの脱退したJUDAS PRIESTのオーディションを受け、GAMMA RAYの活動に集中しないことに業を煮やしたカイ・ハンセンが彼を解雇し、初期HELLOWEENの時代のように自ら歌う道を選択する。アルバムを発表するごとにメンバーが異なるという、メンバー・チェンジの激しいバンドだったが、97年にダーク・シュレヒターが彼の本来のメイン楽器であるベースを担当するようになってからはメンバーも安定、同年の「SOMEWHERE OUT IN SPACE」が欧州全域で絶賛されて以降、ヨーロピアン・メタル・シーンのゴッドファーザー的存在としてリスペクトされる存在となっている。


GUNS N' ROSES

アクセル・ローズ(Vo)、スラッシュ(G)、イジー・ストラドリン(G)、ダフ・マッケイガン(B)を中心に85年結成。その強力なライヴ・パフォーマンスによってデビュー前から音楽誌の表紙を飾るなどの注目を集めた「最後のバッド・ボーイズ・ロックン・ロール・バンド」。87年に発表されたデビュー・アルバム「APPETITE FOR DESTRUCTION」は多くのシングル・ヒットを撒き散らしつつ、1年がかりで全米ナンバー1を獲得。アクセル・ローズのエキセントリックなキャラクターによるスキャンダラスな言動もそのカリスマ性を高め、一躍時代を象徴するロック・バンドとなった。91年には2枚同時発売ということで話題を集めた「USE YOUR ILLUSION 1&2」を発表しワールド・ツアーを行なうが、直後に音楽的中心人物の一人であったイジー・ストラドリンが脱退。バンドは後任にギルビー・クラークを加入させるが、93年発表のカヴァー・アルバムを最後に、実質的にバンドは活動休止状態に。96年にアクセルと共にバンドを代表するメンバーと目されていたスラッシュが脱退して以降、聞こえてくるのはメンバー・チェンジの話題ばかりで、実質的にアクセル・ローズのプロジェクトと化したまま迷走が続いている。

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