ACCEPT (アクセプト):ドイツ |
AC/DC (エーシー・ディーシー):オーストラリア 半ズボンにランドセルという「スクール・ボーイ・ルック」がトレードマークのギタリスト、アンガス・ヤングとその兄マルコム・ヤングを中心として1973年に結成。オーストラリア出身で、ワールド(英米)デビューは1976年。デビュー以来一貫してシンプルかつソリッドなギター・リフをメインにしたハードなタテノリのロックン・ロールを演奏し続け、欧米では絶対的な支持を誇る。オリジナル・シンガーのボン・スコットが79年に事故死(泥酔し、吐瀉物を喉に詰まらせ窒息死)、ブライアン・ジョンソンにVoが交代するという危機を乗り越え発表された、最高傑作と言われる「BACK IN BLACK」(1980)は現在までに4000万枚を超えるセールスを記録しているロック・クラシック。その他にも全米No.1に輝いた「FOR THOSE ABOUT TO ROCK(邦題:悪魔の招待状)」(1981)をはじめヒット・アルバム多数。ロックの原初的なエナジーに満ちた熱狂のライヴは既に伝説的。ただし、そのライヴをあまり体験することのなかった日本では欧米ほどの人気はないというのが実情。「ヘッドバンギング」という現在HR/HMのコンサートで普通に見られる、首を上下に激しく振るパフォーマンスを生み出したバンドでもある。 |
AEROSMITH (エアロスミス):アメリカ |
ANGRA (アングラ):ブラジル VIPERを脱退したアンドレ・マトス(Vo&Key)を中心に結成、1994年にデビュー。ブラジル出身。「クラシックとヘヴィ・メタルの融合」をコンセプトにしたメロディックなパワー・メタルスタイルで地元南米、そして日本、ヨーロッパで高い人気を誇る。クラシックのみならず祖国であるブラジルの音楽要素も取り入れた豊かな音楽性と、超絶技巧の持ち主であるギタリストのキコ・ルーレイロを中心としたテクニカルな演奏は評価が高い。1999年、バンドの創始者であるアンドレ・マトスが人間関係の問題で脱退、危機を迎えたが、後任に元SYMBOLSのエドゥ・ファラスキを加入させ、バンドは見事に「再生」した。 |
ANTHRAX (アンスラックス):アメリカ 1984年にデビューしたニューヨーク出身のスラッシュ・メタルバンド。それまでのスラッシュ・メタルと異なり、メロディックに歌えるシンガーのジョーイ・ベラドナを得たことによってシーンで頭角をあらわす。NYハードコア・パンクの影響を受け、HR/HMのコンサートにハードコアのライヴの特徴だった「モッシュ」と呼ばれる一種のダンスを持ち込んだバンドでもある。その後もヒップホップ・チームのPUBLIC ENEMYと共演してみたり、スピード一辺倒だったスラッシュ・メタルにヘヴィな要素を持ち込むなど、中心人物であるスコット・イアン(G)のストリート志向を反映し、ヘヴィ・ミュージック界におけるクロスオーバー/ミクスチャーの流れの先鞭をつけた。ジョーイ・ベラドナ脱退後、元ARMARD SAINTのジョン・ブッシュが加入、現在も活動を続けている。 |
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BLACK SABBATH (ブラック・サバス):イギリス 1970年2月の13日の金曜日にデビューした元祖へヴィ・メタルと呼ぶべきバンド。トニー・アイオミの弾くヘヴィなギター・リフとギーザー・バトラーのダウン・チューニングによるへヴィなベースラインに乗る看板シンガー、オジー・オズボーンの決して上手くはないが雰囲気のある個性的な声が独特のおどろおどろしい音世界を作り出している。ヘヴィ・メタルにつきまとう悪魔的なイメージを最初に打ち出したという意味でも重要なバンド。悪魔的なもの以外にもマリファナによるトリップをテーマにした曲(「Sweet Leaf」「Snowblind」など)も多く、その音楽と共に後のドゥーム・メタルやストーナー・ロックに多大な影響を与えている。シングル「Paranoid」の大ヒット以降欧米ではカリスマ的な人気を誇っていたが、70年代当時の日本では過小評価されていた。むしろオジー・オズボーン脱退後、元RAINBOWのロニー・ジェイムズ・ディオが加入し、1980年の名盤「HEAVEN AND HELL」において様式美的なサウンドを打ち出すようになってから日本でも人気と評価を高めた。80年代はロニー・ジェイムズ・ディオの後、元DEEP PURPLEのイアン・ギランやグレン・ヒューズ、そしてレイ・ギランにトニー・マーティンと、ヴォーカリストが転々として安定せず、初代シンガーのオジー・オズボーンがソロで大人気を博していたのと対照的に、欧米での人気は低迷する(日本ではそのクオリティの高いサウンドゆえに変わらぬ評価を保っていたが)。90年代、「ヘヴィな音楽」がトレンドになると、元祖ヘヴィ・ミュージックとして再びBLACK SABBATH再評価の気運が高まり、90年代末、ついにオリジナルラインナップによるコンサートを実現させた。その再結成はアルバム制作には至らず、バンドはそれを最後に解散した。 |
BLIND GUARDIAN (ブラインド・ガーディアン):ドイツ ファンタジックな歌詞世界、ドラマティックな曲展開、重厚なクワイア(聖歌)・コーラスを伴ったアグレッシヴなパワー・メタル・サウンドを特徴とするドイツ出身のメタル・バンド。デビュー当初は未だ重厚なコーラスこそ控えめだったものの、そのドラマティックかつ荒々しい疾走感に満ちたサウンドで、良質のHELLOWEENフォロワーとして話題を呼んだ。そしてアルバムにそのHELLOWEENを脱退したカイ・ハンセンがゲスト参加することで、さらに注目を集め、90年代初頭の「ジャーマン・メタル」ブームにおいて中心的な役割を果たすようになった。特に傑出したメンバーこそいないが、アルバムを重ねるごとに作品の完成度を高め、90年代の半ばを過ぎる頃には本国ドイツにおいて最も人気のあるヘヴィ・メタル・バンドとしての地位を確立した。ヨーロッパ最大級のメタル・フェスティバル「ヴァッケン」が、現在のようにヘヴィ・メタルの祭典なったのも、もともとただの村祭り的なものだった「ヴァッケン・オープン・エア」で94年、メイン・イベントとして彼らのライヴが行なわれたことがきっかけだった。 |
CARCASS (カーカス):イギリス その凄絶なまでに禍々しい暴虐のグラインド・コア/デス・メタル・サウンドで「リヴァプールの残虐王」の異名をとったデス・メタル・バンド。NAPALM DEATHのメンバーでもあったビル・スティアー(G)を中心に結成、88年にデビュー。極初期こそノイズまがいの非音楽的な暴虐サウンドを聴かせたが、スウェーデン人ギタリスト、マイケル・アモットが加入した3作目以降構築感を打ち出すようになり、発表当時問題作とされた「HEARTWORK」(某B!誌のレビューも芳しいものではなかった)において、遂にデス・メタルにおいては「禁じ手」と思われていた「メロディ」を大胆に導入し、現在「メロディック・デス・メタル」と呼ばれるジャンルの創造に大きく貢献した。実のところ、北欧のアンダーグラウンド・シーンなどを中心に、デス・メタルにメロディを取り入れる試みは当時結構行なわれていたのだが、既に確立されたバンドがそれをやったのはCARCASSが初めてであり、少なくとも、日本におけるメロディック・デス・メタルの隆盛をもたらしたのは間違いなく彼らのサウンドがきっかけであった。バンドは既に解散し、メンバーは個々のプロジェクトで活動中。 |
CATHEDRAL (カセドラル):イギリス グラインド・コアというスタイルのオリジネイターとして、「最速」という形での極限の過激さを目指したNAPARM DEATHのメンバーだったリー・ドリアン(Vo)が、それとは全く逆の形の過激さを追求すべく結成したバンド。91年のデビュー・アルバム「FOREST OF EQUILBRIUM(邦題:この森の静寂の中で)」において、BLACK SABBATH直系のドゥーム感覚に満ちた超ヘヴィで超スローなサウンドによって「ドゥーム・メタル」と呼ばれるスタイルを提示、シーンに大きな衝撃をもたらした。その後、サイケ感覚やプログレ的アレンジ、ファンクやシャッフルのグルーヴをサウンドに持ち込み、非常に正統的なブリティッシュ・ロックのフィーリングを感じさせる形でバンドの音楽を成熟させてゆき、現代のドゥーム・サウンドをリードする存在となっている。 |
CHILDREN OF BODOM (チルドレン・オブ・ボドム):フィンランド メロディック・デス・メタルのシーンも確立され、ブラック・メタルも目新しさを失った1998年、フィンランドから彗星の如く登場した「様式美ブラック・メタルバンド」。デビュー当時18歳のアレキシ・ライホ(Vo/G)を中心に生み出される、ブラック・メタル的な疾走感の中にネオ・クラシカルなギターと、ヤンネ・ウィルマンによる煌びやかなキーボードが奏でる美旋律が荒れ狂う画期的なサウンドでたちどころに注目を集めた。その後もクオリティの高い作品を発表し続け、そのアグレッシヴなライヴ・パフォーマンスも話題を呼び、新世代メロディック・デス・メタルの旗手としての地位を早くも確立している。本国フィンランドでは、ブラック・メタル的なシャウトヴォーカルにもかかわらず、アルバムはもちろんシングルでもヒット・チャートの上位をにぎわすような人気バンドとなっている。ちなみにバンド名はフィンランドのボドム湖で起こった猟奇的な殺人事件から取ったもの。 |
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