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THIN LIZZY

69年、アイルランドのダブリンにて、黒人の船員だった父と、アイルランド人の母を持つフィル・ライノット(Vo/B)と、その旧友ブライアン・ダウニー(Dr)、エリック・ベル(G)によって結成。70年にデッカとの契約を得て、活動の拠点をロンドンに移し、翌71年にデビューした。73年、アイルランドのトラッド・ソング(民謡)をロックにアレンジした「Whiskey In The Jar」がシングル・ヒットし、知名度を上げる。その年の暮れにエリック・ベルが脱退し、一時的にかのゲイリー・ムーアが参加するが、すぐに脱退し、74年、スコットランド出身で弱冠18歳のブライアン・ロバートソンとカリフォルニア出身のスコット・ゴーハムが加入、以後バンドのトレードマークとなるツイン・リード体制がスタートする。76年にはその後多くのHR/HMバンドがカヴァーした名曲「Boys Are Back In Town(邦題:ヤツらは町へ)」が大ヒット、同曲を収録したアルバム「JAILBREAK(邦題:脱獄)」もロング・ヒットを記録、一躍トップ・バンドの仲間入りをする。78年、名作ライヴ盤として名高い「LIVE AND DANGEROUS」のリリースを最後にブライアン・ロバートソンが脱退、ゲイリー・ムーアが再加入して名盤「BLACK ROSE」(1979)をリリース。ゲイリーは今回もすぐに脱退し、スノーウィー・ホワイトを迎えるも、ニューウェーブ全盛の時代、苦戦を強いられる。そして、解散を決意した83年、元TIGERS OF PANG TANGで、THIN LIZZYの大ファンでもあった若きギター・ヒーロー、ジョン・サイクスを迎え、バンド史上最もハードな傑作、「THUNDER AND LIGHTNING」を発表、歴代のメンバーもゲスト参加したフェアウェル・ツアーを行い、解散した。フィル・ライノットはその後ソロで活動したが、86年、過度のドラッグ摂取によって死去した。


TNT

ノルウェー出身のHR/HMバンド。82年結成、翌年デビュー・アルバム「TNT」を発表。84年、アメリカ人シンガー、トニー・ハーネルを迎えて制作した「KNIGHTS OF THE NEW THUNDER」によってワールド・デビュー。R&R色の強い前作とは異なる美旋律HR/HMによって、折からの北欧メタル・ブームに沸く日本でも話題となった。3年の時を置き、サード・アルバム「TELL NO TALES」を発表、まるで別のバンドかと見まがうばかりに洗練されたキャッチーな美旋律ハード・ロックを展開、ロニー・ル・テクロのテクニカルかつ個性的なギター・ワークにも注目が集まり、一躍本国ノルウェーと日本では人気バンドの仲間入りを遂げた。プレイ、楽曲、サウンド等全ての面で驚異的なまでの洗練と充実を見せた次作「INTUITION」(1989)において人気は頂点に。しかし、日本での高い評価に対し、アメリカでは苦戦を強いられていた彼らは、状況を打破するためにGUNS N' ROSESのブレイクで人気の高まっていたラフなハードR&Rに路線変更し、「REALIZED FANTASIES」(1992)を発表。それでもアメリカを攻略することはできず、従来のファンを失望させるだけの結果となり、バンドは解体した。97年に再結成し「FIREFLY」を発表するも、当時のトレンドだったオルタナティヴ・ロック的なサウンドを聴かせ、日本のファンの失望に拍車をかけることになった。


UFO

70年、ピート・ウェイ(B)とミック・ボルトン(G)によって結成、そこにフィル・モグ(Vo)、アンディ・パーカー(Dr)が加入して同年9月にアルバム「UFO」でデビュー。全盛期とは異なるR&R風の音楽は本国では不発に終わるが、日本とドイツでは支持された。そのため盛んにドイツをツアーしていたが、72年のドイツ・ツアー中にミック・ボルトンが失踪、前座を務めていたSCORPIONSのギタリストだったマイケル・シェンカーを代役に抜擢、そのまま彼を正式メンバーとして加入させる。その後バンドはメジャーの「Chrysalis」と契約、マイケルの叙情的なセンスが生かされた74年の名盤「PHENOMENON(邦題:現象)」によって、ブリティッシュ・ハード・ロックの代表バンドのひとつとして認知されるようになる。その後ポール・レイモンド(G/Key)を迎えてさらにバンドを強化した彼らがリリースした77年の「LIGHTS OUT(邦題:新たなる殺意)」は全米23位を記録、バンドの人気はピークに達する。しかし、既にその泣きのギターでカリスマ的なギター・ヒーローとなっていたマイケル・シェンカーが78年に失踪、そのまま脱退に至る。その後メンバー・チェンジを繰り返し、音楽性も微妙に変化させつつ活動を続けるも80年代半ばに解散。90年代に入って再結成し、一時はマイケル・シェンカーが復帰するも、再離脱している。その後もバンドはフィル・モグとピート・ウェイを中心に地道に活動を続けている。


VAN HALEN

アレックス(Dr)とエドワード(G)のヴァン・ヘイレン兄弟が結成したMAMMOTHというバンドに、デヴィッド・リー・ロス(Vo)とマイケル・アンソニー(B)が加わり、75年にVAN HALENと改名。LAのクラブを中心に活動し、78年にレコード・デビュー。エディ・ヴァン・ヘイレンの、当時どうやって弾いているのか誰もわからず、テクを盗まれないようにクラブでプレイしていた当時は後ろを向いてプレイしていたという「ライトハンド奏法(タッピングとも呼ばれる)」をはじめとするテクニカルかつフラッシーなギター・ワークを中心としたダイナミックでカラッとした典型的アメリカン・ハード・ロックはたちまち話題を呼び、デビューまもなくして成功を収める。その後も2作目から5作目まで、どれも全米TOP10圏内に送り込むなど、順調に成功を重ねた。エディはロック・ギターの革命者として、ギター・ヒーローの地位を不動のものにし、マイケル・ジャクソンの大ヒット曲「Beat It(邦題:今夜はビート・イット)」にギター・ソロで参加するなど、ジャンルを超えた存在になった。そしてそのエディの弾くシンセを大胆にフィーチュアしたシングル「Jump」が全米ナンバーワンの大ヒットを記録、同曲を収録したアルバム「1984」も全米2位という過去最高のセールスを記録する(皮肉にも、このとき1位を阻んだのは前述の「Beat It」を収録したマイケル・ジャクソンのモンスター・アルバム「THRILLER」だった)。このアルバムのツアー終了後、デヴィッド・リー・ロスがソロ活動および映画の出演を理由に(実際には他のメンバーとの人間関係的な問題も大きかったようだ)バンドを脱退。バンドは後任に、既にソロ・シンガーとして成功を収めていたサミー・ヘイガーを迎える。優れたパフォーマーであったが、歌が上手いとはいえなかったデイヴと異なり、高い歌唱力を持つサミーを得たことでバンドの音楽性が広がり、よりメロディックになったアルバム「5150」(1986)は、ついに全米チャートのナンバーワンに輝いた。続く「OU812」(1988)、「FOR UNLAWFUL CARNAL KNOWLEDGE」(1991)も同様に全米No.1に輝き、スーパー・バンドと呼ばれるに相応しい存在感を獲得する。ライヴ盤をはさんで発表された「BALANCE」(1995)も、当然のように全米No.1を獲得、日本でも50万枚を超える過去最高のセールスを記録。しかし、翌年曲作りに関する問題からサミーが脱退し、同年にリリースされたベスト・アルバムに収録された新曲2曲はなんとデイヴが歌い、世間を驚かせた。このままデイヴがバンドに復帰するかと思われたが、結局人間関係の問題が修復できなかったため、彼はバンドに入らず、新たに同じマネージメントに属していたEXTREMEのヴォーカリストだったゲイリー・シェローンが新ヴォーカリストの座に就いた。しかし、ゲイリーが歌った「VAN HALENV」(1998)は以前ほどの成功を収められず、プレッシャーに苦しんでいたゲイリーはこの一作のみで脱退を表明。その後バンドはエディが癌にかかったこともあり、活動を停止している。



W.A.S.P

ブラッキー・ローレスを中心に82年に結成。結成当初から過激なライヴ・パフォーマンスで話題を呼んでいた。歌詞が危険すぎてメジャー流通には乗せられないということで、あえてインディーズから出したデビュー・シングル「Animal(Fuck Like A Beast)」でシーンに衝撃を与えた後、破格の契約金でサインした「Capitol」からメジャー・デビュー。その後メンバー・チェンジを繰り返しつつ、シアトリカルかつ過激なステージと、ワイルドながら意外なほどキャッチーな楽曲で人気を集める。90年、デビュー以来の相棒的存在だったクリス・ホルムス(G)が女性メタル・シンガーとして当時そこそこの人気を博していたリタ・フォードと結婚して脱退したため、実質ブラッキー・ローレスのソロ・プロジェクトに。当初ソロ名義で出す予定だった自伝的コンセプト・アルバム「THE CRIMSON IDOL」、そしてベスト・アルバムをリリースし、解散宣言。しかし95年再びW.A.S.P名義での活動を再開、97年にはクリス・ホルムスも復帰して「KILL FUCK DIE」を発表、再び「下品で邪悪なW.A.S.P」完全復活となった。



WHITESNAKE

DEEP PURPLEの3代目ヴォーカリストだった、デイヴィッド・カヴァデールのソロ活動が発展する形で78年に誕生。ミッキー・ムーディとバーニー・マースデンの渋めなツイン・ギターをフィーチュアした、ブルース/R&Bベースのハード・ロックを展開する。元DEEP PURPLEの旧友ジョン・ロード(Key)、イアン・ペイス(Dr)を迎えた80年、名曲「Fool For Your Loving」が英国でシングル・ヒット、バンドの人気を軌道に乗せ、続くアルバムもヒットさせた。しかし、アメリカ・ツアーを失敗させるなど、仕切りの悪かったマネージャーと縁を切るため、82年に一度バンドを解散させる。直後、英国での契約を消化するためにコージー・パウエル(Dr)、メル・ギャレー(G)、コリン・ホッジキンソン(B)を迎えて新生WHITHSNAKEを始動させ、「SLIDE IT IN」を制作。新しいマネージャーの手腕によって米国「Geffin」との契約を得たデイヴィッドは、残留していたミッキー・ムーディの代わりにジョン・サイクスを加入させ、オリジナル・ベーシストのニール・マーレイも呼び戻し、演奏を差し替えた上、リミックスを施して「SLIDE IT IN」をアメリカで発売、スマッシュ・ヒットさせる。その後、コージー・パウエルとジョン・ロードが去り、新たなラインナップで制作した、ジョン・サイクス主導による洗練された作風の「WHITESNAKE(SERPENS ALBUS)」は「Here I Go Again」「Still Of The Night」「Is This Love」等多くのシングル・ヒットを生み出し、800万枚以上を売り上げる空前の大ヒットとなった。しかし、アルバム発表時点でデイヴィッド以外の全メンバーが解雇されていたため、ツアーは元VANDENBERGのエイドリアン・ヴァンデンバーグ、元DIOのヴィヴィアン・キャンベル、そしてOZZY OSBOURNEのリズム・セクションだったルディ・サーゾ(B)、トミー・アルドリッチ(Dr)を迎えて行なわれた。ツアー終了後、ヴィヴィアン・キャンベルが脱退し、代役としてスティーヴ・ヴァイが迎えられ、「SLIP OF THE TONGUE」を発表、スティーヴのフラッシーなギターはバンドの音楽性との相性が悪く、好評とはいえなかったが、ツアーは大盛況で、このツアーをもってバンドは解散した。90年代以降も、何度か再結成し、アルバムを発表している。ちなみにSNAKEとは男性性器のメタファーで、デイヴィッド曰く、「もし僕らが黒人だったらBLACKSNAKEと名乗っていたよ」とのこと。


WILDHEARTS

89年1月に、メジャー・デビュー直前のQUIREBOYSをクビになったギタリストのジンジャー(Vo/G)を中心に結成、92年にデビュー。「BEATLESとPANTERAの融合」などと表現された、とことんラウドでヘヴィなギターに、ブリティッシュ・バンドならではのキャッチーな歌メロと、一筋縄では行かない展開を乗せた、当時としては目新しいサウンドで注目を集めた。当初はブリティッシュ・ハード・ロックの変り種的な扱いだったが、次第にそのパンキッシュなアティテュードとイメージが浸透し、シングルやアルバムが全英チャートの上位にランクされるようになってからは、ロックン・ロールの新しいスタイルとして、世界中のアンダーグラウンド・シーンで彼らのような「やかましくもポップなロックン・ロール・バンド」を増殖させることになった。かなり速いペースでフックのある楽曲を量産し続けたジンジャーは、レコード会社との契約を巡るトラブルや、メンバー・チェンジの問題、また、ゴシップを執拗に報道した雑誌社のオフィスに殴りこむなどの騒動を通じ、その才能と癇癪持ちな性格によって、当時のHR/HM界には珍しいクールなキャラクターとして人気を集めた。日本でもBURRN!誌の一女性記者のお気に入りバンドとなり、大プッシュを受けたこともあってかなり高い支持を得ていたが、最初の解散前における最後のスタジオ・アルバムとなった「ENDLESS, NAMELESS」がノイズにしか聴こえない実験作だったこと、解散するといって何度も復活し、来日までしてみせるなど、ファンに対する言動があまりにも無原則であったことなどが影響し、次第に注目は薄れてしまった。ジンジャーが解散後に述懐していたように、GREEN DAYやOFFSPRINGが大ヒットを飛ばしていた当時、売り方によってはもっとビッグな存在になれるポテンシャルを秘めたバンドであった。出自が、「イギリスのGUNS N' ROSES」、QUIREBOYSであったため、「HR/HM畑のバンド」というイメージを拭えなかったことが、このバンドに対する正当な評価を妨げたのかもしれない。

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