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ROYAL HUNT
A LIFE TO DIE FOR
82
ア・ライフ・トゥ・ダイ・フォー (2013)

バンドが日本で一番人気があった時期のヴォーカリストであるD.C.クーパーの復帰作となった前作は、当時の雰囲気がある程度再現されており、オールド・ファンには概ね好意的な評価を得た。しかし、D.C.クーパー復帰第2弾となる本作はコンセプト・アルバムであり、生のストリングス・オーケストラやクワイアをアレンジに起用するなど、より「壮大さ」を強調した作風となっている。何しろ冒頭から9分越えの大作である。冒頭が長尺であることといい、一方で曲数は全7曲とコンパクトである辺り、アンドレ・アンダーセン(Key)のお気に入りアルバムであるという「FEAR」を思わせる。しかし、全体的にはやや地味な印象だった「FEAR」に比べると、聴き終えた後の印象は悪くない。その理由は、アンドレの作曲が成熟してきたこともさることながら、前述したストリングスやクワイアが、やはりKeyサウンドによる無機質な感触を低減させていること、そして(「FEAR」でプレイしていた)ヤコブ・キエールよりエッジと聴き応えのあるプレイを聴かせるヨナス・ラーソンのギター、そしてやはり声質自体にキャッチーな甘さがあるD.C.クーパーの歌声の魅力が大きい。もっとわかりやすくコンパクトでキャッチーな楽曲を多くプレイした方が受けるであろうことは知っているのかもしれないが、アンドレがやりたいのはこういう「高尚な」音楽なのだろう。

ROYAL HUNT
SHOW ME HOW TO LIVE
83
ショウ・ミー・ハウ・トゥ・リヴ (2011)

13年ぶりにD.C.クーパー(Vo)が復帰。とはいえ、サウンドの中心はあくまでもアンドレ・アンダーセン(Key)だけに、D.C.が戻ったからと言ってすぐに当時のサウンドが戻ってくるとは限らない、と過度な期待はせずに聴いてみた。小芝居風のSEに続く#1のイントロから、初期を思わせるKeyリフが当時の記憶を呼び起こし、そこにD.C.の歌声が乗ると、「ああ、ROYAL HUNTが帰ってきた」という感慨めいた思いが去来する。最後まで聴いてみると、アンドレが自分で言うほどには初期に回帰しているわけではなく、楽曲のキャッチーさ、劇的さという点で初期の輝きを完全に取り戻しているとは言い難い。しかし、このサウンドとD.C.のVoの間にはやはりケミストリーがあり、これまで地味に響いていた旋律に幾分「華」が戻っている。中でもミカエル・アーランドソンの名曲「It's Alright」を彷彿させる#5は日本人好みだろう。ジョン・ウエストやマーク・ボールズも文句なしに優れたシンガーだったので、リアルタイムを経験していないリスナーがどう感じるかはわからないが、個人的にはやはりこのバンドにはD.C.クーパーがしっくり来ると感じたし、バンドの個性をあらためて証明するアルバムになっていると思う。7曲という曲数は物足りないが、もともとD.C.在籍時の2作も曲数は少なかったし、「腹八分目」だからこそ冗長にならずに楽しめる気もする。新加入のヨナス・ラーソン(G)がバンド史上最も主張の強いギターを弾いている。


ROYAL HUNT
X
78
テン (2010)

前作でプレイしていたペア・シェランダー(B)に代わり、これまでSTORMWINDやNARNIA、DIVINEFIRE、WISDOM CALL、ROB ROCKといった、メロディックなHR/HMが好きな人であればピンと来るバンドでプレイしてきたアンドレアス・パスマークが加入。そのアンドレアス加入後に行なわれた「LOUD PARK 09」で披露された本作収録の新曲#7「Back To Square One」はDEEP PURPLEなどを思わせる70年代HRを思わせる渋い曲で、ひょっとして新しいアルバムは70年代っぽい渋いアルバムになるのでは…と予想していたら、案の定全編アナログ機材でレコーディングされたという本作は70年代的な要素の強いサウンドである。彼らとしては異色の作風だが、全体的な雰囲気としてのROYAL HUNTらしさはキープされており、危惧していた「渋すぎる音」にはなっておらずひと安心。ただ、70年代を実体験したような人たちがどう感じるかはわからないが、個人的にはもう少し派手なキャッチーさがほしいところで、ついでに言うならマーク・ボールズの歌唱はこの手のオールド・ウェイブな音にはあまりハマっておらず、前作のツアーにおいてマークの都合が悪かった時にヘルプをしたというマッツ・レヴィンなどのほうが味わいの出る作風のような気がする。なお、#1がイントロに、#11がアウトロになっているが、コンセプト作ではないとのこと。

ROYAL HUNT
COLLISION COURSE
81
コリジョン・コース〜パラドックスII (2008)

バンド史上最も長くフロントマンを務めてきたにもかかわらず、来日公演が少なかったせいもあって、ここ日本では今ひとつ「ROYAL HUNTの顔」になれなかった感のあるジョン・ウエスト(Vo)が脱退。後任にはなんとマーク・ボールズ(元YNGWIE MALMSTEEN〜RING OF FIRE等)の加入が発表され、しかも本作はバンド史上最高傑作と言われる「PARADOX」の続編であるという。その情報はたしかにここ数年ROYAL HUNTの音楽から疎遠になっていた私のようなリスナーをも呼び返す力があった。久々に聴いた彼らの音楽は、以前のような人工的な薄っぺらさが消えて思いのほか「本格的」なサウンドになっており、それはアンドレ(Key)の作曲能力に「深み」が出てきたのだろうと好意的に解釈している。ただ、「深み」が増したことが彼らがD.C.クーパー脱退以降常に抱えてきた「地味さ」という問題の解決にはなんら貢献しておらず、相変わらずライヴで合唱したくなるようなキャッチーなメロディも、思わず拳を突き上げたくなるような「アツい」曲もなく、悪い意味で「真面目な音楽」という印象が強い。マーク・ボールズの「完璧」なVoも、そういう印象をむしろ助長しているような感があり、このバンドの音楽にマッチしていないわけではないが、このバンドが起用するべきはこういうシンガーではないような気がする。「PARADOX」の続編云々については、たしかに何箇所か同作で聴けたメロディが顔を出しているが、元々過去の楽曲の使い回しが多いバンドでもあるので(実際本作でも、「PARADOX」以外のアルバムにあったメロディが何箇所か登場する:苦笑)、その辺はこの作品世界に本気で入れ込み、歌詞もちゃんと読み込んでコンセプトを理解するような熱心なファン以外にはあまりピンと来ない要素かも。


ROYAL HUNT
THE WATCHERS
79
ザ・ウォッチャーズ (2001)

EP「INTERVENTION」から続く3部作の締めくくりとなる企画盤。連作なのに企画盤とはこれいかに。しかも本作には「Intervention」のフル・バージョンが収録。たしかにEPに収められていたバージョンは明らかに尻切れトンボというかイントロだけ、って感じだったが、このCD買ったらEPは単なるコレクターズ・アイテムみたいなもんじゃないか。ファンをナメんな、と軽くキレてみた所で内容ですが、その「Intervention」の14分におよぶフル・バージョンに、それを6分にまとめたラジオ・エディット(6分でもラジオには長すぎじゃね?)、そして過去の曲のリメイクにライヴ音源で構成されている。メロディが良かった頃の楽曲をジョン・ウエストのVoで聴けるというのは、当時のファンにとってはなかなか魅惑的な話で、正直「三部作」という触れ込みは、単に3枚とも買わせようというマニア心につけこんだあざとい商売だと看破しつつも、つい手が伸びてしまう商品だ。さて、希代の名シンガー、ジョン・ウエストが歌う1st、2nd収録の名曲はどれほど素晴らしいことになっているか、と期待して聴いてみると…意外とピンと来ない。いや、間違いなくヘンリック・ブロックマンより技術的には上手いのだが…慣れって恐いな(苦笑)。メイン・トラックである「Intervention」については、フル・バージョンを半分以下に短縮したラジオ・エディットの方が魅力的に聴こえるあたりにこのバンドの抱えている問題が端的に表れている気がします。

ROYAL HUNT
THE MISSION
82
ザ・ミッション (2001)

本作に先立ってリリースされたEP「Intervention」から続くコンセプト・シリーズの中核をなすフル・アルバム。前々作「PARADOX」ではゲストとして、前作「FEAR」では正式メンバーとしてドラムをプレイしていたアラン・ソーレンセンが脱退、本作のDrはキム・ヨハンソンなる人物と、以前メンバーだったケネス・オールセンによってレコーディングされている。本作のテーマは古典SF小説の名作として知られるレイ・ブラッドベリの「火星年代記」に基づいているとのことで、「Intervention」とのつながりが意味不明な感も。1曲目のSEに続く2曲目のイントロが、ギョッとするほどダサい80年代テクノ・ポップ風8ビートなのはテーマがSFであることを意識したものか。それ以外にもSFのステロタイプなイメージに依拠していると思しきスペーシーなサウンドやアレンジが随所に登場し、本作の特色となっている。もともとレコーディングにおいてはKeyを打ち込みにしているこのバンドの音楽にとってこういうアレンジは意外と適性があるのかも。ヤコブ・キエールの人工的なギター・サウンドもこういうアレンジに違和感なくマッチしているし。メロディ面での充実は完全復活というには程遠い(っていうか無理…)が、前作で頂点を極めた(それとも底辺を極めたっていうのか?)地味さはだいぶ払拭されており、印象は悪くない。#4「Surrender」は久々にボーッとCDを流していても「オッ」と耳を引くような彼らならではのキラー・チューンに仕上がっており、アルバムの印象の向上に大きく貢献している。


ROYAL HUNT
FEAR
78
フィア (1999)

看板シンガーであったD.C.クーパーがソロ活動を始動したことをきっかけに、リーダーであるアンドレ・アンダーセン(Key)との間に軋轢が生じ、結果的にバンドから解雇。後任には、この直前にイングヴェイの誘いを受けてリハーサルに参加したものの、すぐに衝突してバンドへの加入が流れたことや、前年に事故死したコージー・パウエルが95年に制作し、死後に発表されたソロ・アルバムへ参加などが話題になっていたジョン・ウエスト(Vo:ARTENTION)が加入。実力派として知られるジョンの加入で、音楽的なダメージはないものと予想されたが、これがそういう楽観的な予測を裏切る、タイトルやジャケットのイメージ通りの地味な作品。1曲目のタイトル曲から9分半を超す大作で、その他の曲も6分を超える長尺の曲ばかり。かつては4分台のコンパクトな楽曲が大半だった彼らだが、近年は欧州で「プログレッシヴ・メタル」として認知が広がり、アメリカでもその手のレーベルとして知られる「Magna Carta」を通じてCDがリリースされるという状況を意識してか、プログレッシヴ化・大作化が進行。そのこと自体は別にいいのだが、問題は曲の長さと反比例するかのようにキャッチーさが減退していること。彼らの場合、大作といっても緊張感のないインスト・パートで無駄に長く引き伸ばしているような感があり、過去の使い回しのようなフレーズ、展開が目立つこともあってかなり退屈。これは本作に先立ってリリースされたアンドレのソロ・アルバムでも感じられたことなので、正直アンドレの才能の枯渇を疑わざるをえない。前作までの実績を買われてか、これまで所属してきたテイチクの「METAL MANIA」レーベルから、ポニーキャニオンの「ALL FIRED UP!」レーベルに移籍したにもかかわらず本作のセールスは不振で、セカンドプレスさえされずに終わってしまい、結局これ一枚で古巣テイチク(ただしかつて所属していた「METAL MANIA」レーベルは既に消滅していたので、一般洋楽部門である「Imperial Records」レーベル)に出戻ることになってしまった。


ROYAL HUNT
PARADOX
84
パラドックス (1997)

確かな歌唱力と華のあるパフォーマンスを兼ね備えたアメリカ人フロントマン、D.C.クーパー加入によって一気にブレイク。来日公演は1,800人収容の五反田簡易保険ホールを満員にし、BURRN!誌上の年間人気投票では前作発表年である96年と本作発表年である97年にD.C.クーパーが「BEST VOCALIST」に、アンドレ・アンダーセンが「BEST KEYBORDIST」に二年連続で揃って選出され、そしてなんと洋楽アイドル誌である「IN ROCK」にまでカラーで取り上げられるなど、人気絶頂期に発表された4枚目のアルバム。本作は宗教と人間の関わりを描いたコンセプト・アルバムで、BURRN!誌上のクロスレビューでは最高98点という高評価を獲得、一般にROYAL HUNTの最高傑作として挙げられることが多い。しかし、前作でも感じていたわかりやすいキャッチーさの減退が本作ではさらに進行。重いテーマを反映した荘厳なムードが息苦しく、アップテンポなパートが少ないこともあって、アルバムとしての完成度の高さは認めつつも、個人的には今ひとつのめり込めなかった。それでもD.C.クーパーの歌うヴォーカルに求心力があるため、ちゃんと楽曲の印象が残っていることはさすがと言うべきか。なお、本作では聴覚上のトラブルでDrのケネス・オールセンが離脱、同郷のNARITAでプレイしていたアラン・ソーレンセンがゲストとしてDrをプレイしている。

ROYAL HUNT
MOVING TARGET
86
ムーヴィング・ターゲット (1995)

前作発表後実現した初来日公演に足を運んだファンは、会場で「ヴォーカル交代」という衝撃的な報に接することになった。前2作でVoを務めたヘンリック・ブロックマンは、歌唱力や声域においてはさほど傑出したシンガーではなかったものの、なかなか魅力的な艶のある声質の持ち主で、ROYAL HUNTの音楽を充分魅力的に演出していた。それだけに、多くのファンは不安と動揺を抱いてライヴに臨んだが、新たに加入したD.C.クーパーの歌唱に接し、全ての不安と動揺を払拭し、それどころか興奮と喜びをもって家路についたという。そしてその来日公演から約1年が経ち、会場に行けなかったファンがようやく耳にしたD.C.クーパーの、ハイトーンを余裕でこなしつつ、マイルドな甘さもある歌声はまさに「パーフェクト」で、バンドのサウンド自体を1ランクアップさせていた。上手いVoを迎えたためか、楽曲自体がかなりプログレッシヴになっており、パッと聴きのキャッチーさは後退した感があるが、好意的に解釈すればイモ臭さが薄れたともいえるだろう。オープニングを飾るドラマティックな#1「Last Goodbye」、神戸大震災の犠牲者に捧げられた#4「Far Away」、エンディングを飾る#9「Time」など、おしなべて楽曲のクオリティは高く、全9曲とコンパクトながら充分に聴き応えがある。

ROYAL HUNT
CLOWN IN THE MIRROR
87
クラウン・イン・ザ・ミラー (1994)

前作がメロディック・メタルに強い評論家、和田誠氏の絶賛&大プッシュを受け、好評を博したROYAL HUNTのセカンド・アルバム。本作の4ヶ月前にリリースされたEP「THE MAXI-SINGLE」の時点ではまだ固定していなかったギタリストの座にヘンリック・ブロックマン(Vo)の友人だったヤコブ・キエールが就き、完全な「バンド」として体裁が整っている。基本的には前作の流れにあるメロディアスな北欧メタル・サウンドを展開しているが、この時期の北欧のバンドとしては珍しくアメリカのマネージメントに属し、アメリカでのリリースも検討されていたこともあってか、#2や#6など、アメリカンな印象を与える楽曲が収録されていることは賛否両論を呼んだ。ただ、ドラマティックなイントロを持つ緊張感に満ちた#1「Intro〜Wasted Time」や、前作タイトル曲同様、物悲しくも感動的なコーラスを持つ名バラード#4「Clown In The Mirror」、そしてこのバンド史上随一の名曲といっても過言ではない#10「Epilogue」など、キメ曲のクオリティはハイレベルだった前作をさえ凌駕するほどで、前作より楽曲の質のバラつきはあれど、個人的には前作に勝るとも劣らない好盤であると思う。ただし、#8「Here Today, Gone Tomorrow」の掛け声のダサさは限界を超えている(苦笑)。あと、ジャケットはもう少し何とかならなかったのだろうか。

ROYAL HUNT
LAND OF BROKEN HEARTS
87
ランド・オブ・ブロークン・ハーツ (1993)

日本デビュー前からラジオで取り上げられたことがきっかけで北欧メタル・マニアの間で「話題の注目バンド」となり、輸入盤が飛ぶように売れたというROYAL HUNTのデビュー・アルバム。ロシア人とデンマーク人のハーフで、ソビエト連邦(当時)の首都モスクワ出身のアンドレ・アンダーセン(Key)が亡命先のデンマークで88年に結成したAPARTというバンドが母体となり、91年に現在のバンド名に。本作リリース時点でもギタリストは固定しておらず、本作でもGはゲスト扱いになっている。内容については、Keyが大々的にフィーチュアされ、音楽学校で教育を受けたアンドレによるクラシカルなエッセンスがちりばめられた、「北欧メタル」という言葉からイメージされる音像そのもの。北欧メタルには様式美的な流れと、ハード・ポップ的な流れの2つの傾向があるが、このバンドはどちらの要素もバランスよく含んでいて、HR/HM的な緊張感を持ちつつも歌メロは非常にキャッチーで、まさに北欧メタルの理想郷。BURRN!では様式美マニアの酒井編集長に「典型的な様式曲#3、#7とインスト以外は中途半端」と評され、点数はかなり厳しいもの(76点)だったが、それでも好評を博したのは、その「中途半端」なキャッチーさが私のようなリスナーには聴き易く、耳になじんだからだろう。様式曲からテクニカルなインスト、スケール感のあるバラードまで、楽曲は粒揃い。このクサさは人によってはイモ臭く感じるかもしれないし、妙に高音が強調されたプロダクションもイマイチだが、KeyをフィーチュアしたクラシカルなHR/HMが死に絶えていたこの時期においてはまさに砂漠におけるオアシスのようなサウンドだったといえよう。

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