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AMORPHIS
CIRCLE
84
サークル (2013)

セルフ・プロデュースを止め、マルコ・ヒエタラ(TAROT, NIGHTWISH)によるヴォーカル・プロデュースからも離れて、ピーター・テクレン(HYPOCRISY)をプロデューサーに迎えて制作された11作目のアルバム。歌詞も、これまでこだわり続けてきた民族叙事詩「カレワラ」から離れ、「BLACK WATERS」以降の歌詞を手掛けてきた芸術家、ペッカ・カイヌライネンによるオリジナル・ストーリーをベースにしたものになっている。アートワークの作者も、ここ数作を手掛けたトラヴィス・スミスにからトム・ペイツに替わっている。これらは、彼ら自身ここ数作の作業がルーティン化していたことを自覚して、意図的に変化を求めた結果のようだ。ただ、基本的なサウンドは既に確立されてしまったバンドであり、強いて言えば、ギターにヘヴィなエッジが増し、全体的にストレートなアグレッションを感じさせる印象が強まっているが、事情を知らないリスナーにとっては「いつも通りの彼ららしい作品」と受け止められることであろう。音楽的に幅を広げるというよりも、むしろメタル寄りな方向へ舵を切ったことは、やはりかつて拡散路線で商業的に失敗した過去があるためか。楽曲のクオリティについては相変わらず申し分ないが、変化を求めてなおこの振れ幅に収まってしまうのであれば、いささかバンドとして守りに入っていると感じなくもない。まあ、悪くないものを変える必要はない、という考え方もあるし、このバンドの場合それで問題はないとも思うが。

AMORPHIS
THE BEGINNING OF TIMES
86
ザ・ビギニング・オブ・タイムズ (2011)

前作「SKYFORGER」にはややマンネリを感じていたので、個人的には「新機軸」を期待していたが、基本的には「SIILENT WATERS」以降の詩人のペッカ・カイヌライネンが「カレワラ」を元に書いた詩を英訳し、ヴォーカル・プロデュースにマルコ・ヒエタラ(TAROT, NIGHTWISH)を迎える、という、トミ・ヨーツセン(Vo)加入後のスタイルを踏襲した近年の「AMORPHISスタイル」で制作された10作目のアルバム。ただ、先に過去のマテリアルのリメイク・アルバム「MAGIC & MAYHEM」を制作したことが影響しているのか、前作よりもヘヴィな要素が増してメリハリがついていること、そして一部でフルートやサックス、クラリネットといった普通のHR/HMバンドがあまり使用しない楽器を取り入れたり、#8ではロシア民謡の要素をとりいれたりと、アレンジの幅を広げたこともあって「マンネリ感」はある程度払拭されている(とはいえ、音楽性が確立されているがゆえに、このバンドの音楽を好まない人には「いつもと同じ」に聴こえることだろう)。個人的にはピアノの音色が目立つ曲が多いのが嬉しい。フォーキーかつメランコリックなメロディがフィーチュアされた楽曲の充実は相変わらずで、彼らの音楽が「深い」ものであることは素人でもなんとなく理解できるだろうという意味でも高く評価されて然るべきバンド/作品だと思う。ただ、個人的にはこの音楽がことHR/HMファンに限っても万人受けするものだとはまったく思わない。

AMORPHIS
MAGIC & MEYHEM -Tales From Early Years-
80
マジック・アンド・メイヘム‐テイルズ・フロム・アーリー・イヤーズ‐ (2010)

初期の楽曲を現在のラインナップで再録音した企画アルバム。元々デス・メタルから出発し、メロディック・デス・メタルというジャンルの確立に貢献した後にデス・メタルから離れ、そして再びメロディック・デス・メタルに回帰することで人気を確立した彼ら。ジャケットにある魚は源流に帰ってきた鮭で、本作における自分たちのことを象徴しているのかと思ったら単なる彼らお得意の民族叙事詩「カレワラ」に登場する巨大カマスだそうで。基本的にはオリジナルのイメージを大きく損なうことのないカヴァーで、初期に比べて演奏力とサウンド・プロダクションが向上している分、質が向上したと考えることもできるが、一方で近作同様、初期の彼らが持っていた得体のしれない不気味な神秘性は後退しており、一概にどちらが良いとも言い難い。彼らにとって本国における4枚目のゴールド・ディスクに輝いた「SKYFORGER」を聴いたときにも感じたが、ちょっと彼らのようなバンドにとって好ましからざるタイプの貫禄がついてしまった感もあり、名曲#5「On Rich And Poor」における妙にモッサリと落ち着いた演奏からは「丸くなってしまった」という印象が拭えない。新参のファンがライヴでやりそうな昔の曲を手っ取り早く覚えるには便利なアイテムだが、本作の制作を機に自分たちが失ってしまったものを再発見し、次作で新境地を開くきっかけにならないなら、バンドにとって本作を作った意味はあまりない。

AMORPHIS
SKYFORGER
85
スカイフォージャー (2009)

前作の充実を受け、母国フィンランドのナショナル・チャートで初登場1位に輝いた9作目のフル・アルバム。「カレワラ」に登場する、神が枝先に太陽と月を引っかけたとされるモミの木をモチーフにしたアートワークは前2作に引き続きトラヴィス・スミスによる作品で、音楽的な方向性も前2作を順当に受け継ぐものである。となれば前2作が優れた内容だっただけに、本作の出来も悪かろうはずはなく、方向性・クオリティともにファンが求める「AMORPHIS節」である。ファースト・シングルとなった#2「Silver Bride」を筆頭に、よりキャッチーさを増したサウンドは、非常に個性的であるにもかかわらず聴きやすく、母国で売れているというのも頷ける。楽曲のクオリティ的にも前作・前々作に勝るとも劣らぬものを提示しており、その点においてケチをつける理由はない。ただ、本作で初めて彼らの音楽に接する人はいざ知らず、「ECLIPSE」、「SILENT WATERS」と続けて聴いてきた人間にとっては、そろそろマンネリを感じ始める人が出てきてもおかしくないかもしれない。何しろ、ここ3作の楽曲はシャッフルしても全く違和感のないサウンドなのだ。むろん、下手な方向転換はメタル・バンドにとって命取りだが、ここまで似通っていると、聴き続ける上では「明らかな成長」か「何らかの新味」が欲しくなるのが人情というもの。ベテランゆえ、前者はなかなか望みにくいとすれば、次作ではオビに「三部作に区切りをつけ、新たな地平へ!」などと書かれていたほうが聴いてみたくなるかな。

AMORPHIS
SILENT WATERS
87
サイレント・ウォーターズ (2007)

前作の回帰路線を踏襲する通算8作目のフル・アルバム。本作のテーマも前作に引き続き「カレワラ」だが、今回はペッカ・カイヌライネンというパフォーマンス・アーティストが現代的に解釈したバージョンを歌詞にしたものの英訳となっている。前作は意図的にアグレッションを強調しているのではないか、と思われる箇所があったが、本作では前作の成功で肩の力が抜けたのか、より彼らの持ち味であるキャッチーなメロディ・センスが遺憾なく発揮されている。そのためか、前作で不満だった神秘的なムードの不足も、本作では(初期ほどではないにせよ)多少復活しており、その点は喜ばしい。ピアノを効果的に使用したタイトル曲#3は、哀愁の湖に耽溺してしまう名曲だ。#4「Towards And Against」の不思議な高揚感もなかなか他のバンドには表現できない類のものだろう。他のどのバンドにも似ていない孤高の世界観・サウンドであるがゆえに画一的に響く場面もあり、途中やや集中力が切れそうになる瞬間もあるが、個々の楽曲を抜き出せして聴けばどれも良く練られた力作である。トラヴィス・スミスによる、「カレワラ」の14章に登場する「冥府(Tuonela)の白鳥」をモチーフにしたジャケットのアートワークも素晴らしい。

AMORPHIS
ECLIPSE
85
エクリプス (2006)

前作のツアー終了後、プライベートの問題で、シンガーだったパシ・コスキネンが脱退し、元SINISTRAのトミ・ヨーツセンが加入。レーベルも「Nuclear Blast」に移籍して発表された本作では、まるで「ELEGY」の頃を思わせるデス・メタルの要素が大幅に復活している。それがパシ・コスキネンのようなムーディーな歌唱とブルータルなデス・ヴォイスを使い分けることができるトミの器用さを生かすためにそうしたのか、あるいは元々この「過去への回帰」を意図してトミを選んだのかは不明だが、従来のファンから「復活作」として歓迎された。アルバムのコンセプトも初期の「カレワラ」をモチーフとした世界観に回帰しており、そういう意味でもまさに「原点回帰」の一作である。個々の楽曲も、「昔とった杵柄」といった感じで、へヴィなアグレッションも、トラッド由来と思しきメロディの煽情力も充分。ただ、個人的には完成度が上がった分、彼ら独特の不可思議な神秘性のようなものは薄くなってしまったように思われ(それは前作時点で気になっていたが、原点回帰した本作でもその「ムード」は完全には回復していない)、なんとなく「ELEGY」ほど彼らの世界に没入できなかったというのが事実。前作の不振を受け、安直に音楽性を元に戻したことも、なんとなく後ろ向きな印象があって、個人的にはちょっと興醒め。いや、音楽自体はカッコいいんだけどさ。

AMORPHIS
FAR FROM THE SUN
77
ファー・フロム・ザ・サン (2003)

前作からのシングル「Alone」が母国フィンランドのチャートでNo.1に輝いたことを受け、これまで所属していたインディーズの「Relapse」からメジャーの「Virgin」に移籍。「Relapse」時代のベスト・アルバム「CHAPTERS」を挟んでリリースされた6枚目のアルバム。本作では初のセルフ・プロデュースに挑戦しており、そのせいか、音楽の方向性としては前2作を踏襲しているにもかかわらず、若干サウンドの雰囲気が変化している。ただ、その変化は必ずしも好ましいものではない。彼らを孤高たらしめていた独特の霞がかった神秘的なムードが薄まってしまっているのだ。よりストレートになった、と形容すればむしろ「ロックっぽくていいじゃん」などと好感を抱く向きもいるかもしれないが、このバンドに関してはありがちなロックと縁遠い、独特のサウンドが魅力だっただけに、単にカリスマ性が落ちただけのように思える。穿った見方をすれば、メジャー移籍を機に、俗っぽいサウンドに自ら歩み寄ったのではないかという気さえする。まあ、無論それなりのクオリティは備えているのだが、母国フィンランドでも思ったように売れなかったようなので、「そういう出来」のアルバムなのだと思っていいのではないか。まあ、CCCDだったことを商業的不振の一因とする声もあるけど、たぶんそれだけじゃない、と思う。なお、本作は08年にボーナス・トラックを追加し、異なるアートワークで再発されている。

AMORPHIS
AM UNIVERSUM
83
アム・ユニヴァーサム (2001)

前作の流れを汲む、孤高のAMORPHIS流ロックを追求した5作目のフル・アルバム。前作ではゲスト扱いだったサンテリ・カリオ(Key)が正式にメンバーとなったことが影響しているのか、Keyサウンドの使用頻度が増え、前作でも所々で使用されていたサックスを効果的にあしらうことで、一層ムーディーになったそのサウンドは、もはやHR/HMの文脈で語ることは困難である。前作以上に「歌ものロック」としての幅が広がり、#8などはまるでムード歌謡だ(笑)。パシ・コスキネンの微熱を帯びたような独特の艶を持つ歌声は、この浮遊感を感じさせる独自の世界観に完璧にマッチしており、部屋を暗くして聴いていると、それだけで彼ら独自の「寂寥のサイケデリア」へとトリップしてしまうような錯覚に陥る。本作からのシングル#1「Alone」が本国フィンランドのチャートでNo.1に輝いたことが示すように、決して大衆的なサウンドではないにもかかわらず、独特のキャッチーさを感じさせるのが不思議である。楽曲のクオリティは前作以上に高く、前作から次作にかけての「脱メタル路線」における最高傑作といえるだろう。とはいえ、残念ながら本作も日本ではさっぱり受けなかったのだが…。

AMORPHIS
TUONELA
82
トゥオネラ (1999)

前々作から前作への進化も衝撃的だったが、前作から本作への進化はさらにドラスティックである。デス・ヴォイスも曲によっては使用されているものの、もはや本作を聴いて「デス・メタル」だと感じる人間は皆無だろう。前作「ELEGY」におけるムーディーなパートを中心に構成されたかのような本作の音楽性は、サイケデリック/ストーナー・ロック的でもあり、人によってはPINK FLOYDのようなプログレッシヴ・ロックに感じられるかもしれず、脱メロデスした他バンドの流れの中でゴシックに接近したなどと言う声もあった(これは明らかに的外れだが)。フォーク/トラッド色の強い「元祖フォーク・メタル」的な楽曲から、デス声をメインにしたブルータルな曲まで楽曲の幅も広く(悪く言えば散漫?)、既存のジャンル分類では何とも説明しづらい、まさに孤高の音楽である。タイトルはフィンランドの民間伝承における冥界を意味する言葉で、あえて日本語で表現するなら「黄泉の国」であろうか。たしかに浮世離れした、そんな雰囲気のサウンドである。「メタルの命はリフ」「メロデスの醍醐味はリード・ギター」といった感じの日本のメタル・ファンには理解されなかったが、個人的にはメタルを出自とするバンドが、ここまで独自の音楽性にたどり着いたことを高く評価したいと思う。

AMORPHIS
ELEGY
90
エレジー (1996)

前作が輸入盤市場で飛ぶように売れ、日本盤デビューを実現。そしてSENTENCED、DARK TRANQULLITY、IN FLAMESといったバンドの登場によって「メロディック・デス・メタル」が一種の「ブーム」から「ジャンル」になりつつあった時期、デス・メタルにメロディアスなリード・ギターを入れただけ、という凡百のバンドとの器の違いを見せつけた名作サード・アルバム。まず「普通声」の持ち主であるパシ・コスキネンの加入が衝撃だった。デス・ヴォイスとクリーン・ヴォイスの絡みというのは、21世紀に入る頃には珍しくない手法となったが、本作がリリースされた96年当時においては斬新だった。アルバム冒頭を飾る#1こそ中近東風の妖しげなリフが主導するやや地味な楽曲(しかし、何気にクセになる)だが、その後、待ってましたのメロディックなリード・ギターが響き渡る#2から、前作でハマった人間はもちろん、前作ではハマり切れなかったような人間(それは私です)でさえ引き込まれずにはいられない神秘的メロディアス・サウンドが彼らの世界にトリップさせる。本作から加入したKey奏者は本来トランス畑の人間らしく、#6ではなんとダンス・ビートまで飛び出すが、HR/HM畑出身のKeyとは明らかに異なるセンスのKeyが、彼らの音楽の孤高性をいっそう高めている。やや音質が軽めなのが残念だが、スリリングな曲からムーディーな曲まで、凡百のメタル・バンドとは段違いの音楽的な懐の深さを見せつける、カテゴライズ不能な、真の意味でプログレッシヴな名盤。

AMORPHIS
TALES FROM THE THOUSAND LAKES
79
テイルズ・フロム・ザ・サウザンド・レイクス (1994)

まだ「メロデス」という言葉が存在しておらず、デス・メタルといえば「メロディがない音楽」というのが通念だったこの時期、衝撃的な作品として輸入盤市場で大評判となったAMORPHISのセカンド・アルバム。前作デビュー・アルバム「KARELIAN ISTHMUS」の時点では、随所に本作で描かれる世界観の萌芽が見られるものの、大筋では当時のデス・メタルにおける典型的なイメージとさほど距離のないサウンドを出していたが、本作で大変貌。母国フィンランドの民族叙事詩である「カレワラ」をモチーフとしたコンセプト・アルバムである本作は、現地のトラッド/フォークの要素を取り入れた哀愁のメロディと、時にプログレッシヴ・ロックをイメージさせる古めかしいKeyサウンドが織りなすミステリアスなサウンドで、「デス・メタル」という言葉のイメージを超越した孤高のデス・メタル・サウンドを打ち出してみせた。正直演奏はあんまり上手くないし、サウンドも良好とは言い難い(なので点数は控えめ)のだが、そういった単純なスペックだけでは評価することができない、独自の世界をこの時点で描き出している。メロデス黎明期を代表するアルバムの一枚として高く評価されている作品だが、既にこの時点で単純なメロデスとは言い難い、ドゥームともゴシックともつかぬ独自の個性を顕している驚異的な作品。

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